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えびさんのずーとその後

暫くえびさんについて書いていませんでした。(書いてるとは言わないですか?) 水あわせをしてから水槽に入れても、2週間くらいで死んでしまうので、抱卵を見たくて抱卵しているのを買ってしまいました。水替えはしないほうが良いように説明してるWEBもありますが、1/5だけ換えろとかもあります。実際は替える必要は無いです。 抱卵したら水は替えないほうがいい。これは抱卵させることを考えるとわかる気がします。 実は抱卵しているものが稚えびを生んですぐにまた抱卵しました。抱卵しても脱皮してしまうと孵らないので水替えはなるべくしないようにと書かれていました。抱卵前に交接するには、脱皮後のやわらかい状態でないとうまくいかないようです。 逆に脱皮させるのは、頻繁に水換えで刺激を与えればいいように思います。脱皮しますが寿命が短くなっているようにも思えます。寿命と言うと産卵の時間も計算式があるようで、620÷水温だったと思います。30℃なら620÷30で26.6日くらいということになります。 ある意味産卵期間が温度で左右されるのなら、寿命も温度で変わってくるのだと思います。自然にいるミナミヌマエビは飼われているもの2倍くらい生きるようです。自然のほうが水温が低いからではと勝手に思っています。 3回くらい抱卵し稚えびが結構いるようになって、また昨日抱卵しているのを見つけましたが今朝お亡くなりになっていました。残念でした。なんだか私は観賞魚からえびの養殖係りになってしまったようです。 ミナミヌマエビは6~8月に産卵するのだと思いますが、産卵したらほぼ1年たったということで寿命なのかもしれません。

税金の使い方

中国人の話題のついでに、なぜ中国人は日本人の事が嫌いだとか頭が悪いとか言っているのに、日本に来たがるのか?考えてもすぐには答えが出ませんでした。実際に中国人と話してやっとわかったことがあります。冗談のようですが、本当にお金儲けをしに来ています。そのために日本人と結婚もします。 日本人が嫌いであるなら自国をもっと発展させるべきである、というとほんどの中国人は黙るしかない気がします。未だに中国という国の表現は、決して自由ではないようです。日本で働こうというのは、働きやすい、住みやすい環境を日本は、日本人はインフラを整理しながら自治活動も盛んに作り上げてきたのだということを、自治会やいくつかの組合に参加しながら知ることになりました。 いくら年だけ大人になったとしても、詭弁な頭でっかちで、誰もついていかないような人がいくらネット上で熱弁をふるっても教えてもらえなかった、わからなかったことがやっとわかってきたように思えます。そして今の政治です。 いや、わかったというのは、実はこんなにも「頭の中でだけ」というのが実際には人を動かせず、役に立たないことかっていうことなんですけどね。 ディベートが嫌いな人は「ふーん」としか聞いていないし、ほとんどの人がそんな会話を望んでないですね。で、ある意味それは隔離された島国なら平和でよかったんですが、宗教でも政治でも、大きいところから日本人の興味の無いところから侵食してきているように思えます。 税金は払うときには気にするけど、使い道はどうせ自分の意見は反映されないとしか思わず何ら考えないようになったのは、団塊の世代の責任とも思えなくは無いですが、それ以降の大多数は国の決めることに興味が無さすぎな気がします。自分もですが。 ずいぶん前に書いた卒論みたいなものの中で、「日本には会社はあっても社会は無い」と書いたことを思い出しました。今のことを考えてそう思ったわけではないんですが、当時から利潤の追求だけで文化とかないがしろになっているような懸念は持っていたのだと、自分を感心する反面、結局何にもしてないなと、情けなくも思うのでした。

日本人と中国人

昔カメラでバカチョンっていう言い方をするのがあった。チョンがバカだと言うわけではないのですが多分「馬鹿でもチョンでもできるくらい簡単」と言う意味で使っていた気がします。でもその「チョン」って言うのが何の事なのか知りませんでした。調べてみると、つまらない人・取るに足らない人のことを指すようです。拍子木の音になぞらえた蔑称であり、日本語として古くから使われているとなっていました。語源的には朝鮮人を蔑む意味は特にないそうです。で、「チョン」自体は朝鮮人を蔑む言葉?朝鮮人ってどこの人?どんどん疑問が増えてきました。

ね っていう語

話している言葉の最後に 「ね」を付けた言葉を時々聞きます。 〇〇ちゃんがね、わたしのことね、色黒だって言うの。嫌な子よね。 私が気になるのは最後の「ね」。 大人になっても「〇〇だよねー」って使ってる人結構いる気がする。これってなにかずいぶん前に聞いたんだけど、強制を促す幼児言葉だったと思う。大人の男は「ねー」は使わない。子供大人か女男(?)くらい。 小さい子が使うとなんとも感じないけど、おばさんが使っている場合、主語もなく何が「ねー」と同意して欲しいのか分からない。しかも「ねー」の応酬さえある。それに「本当よねー」とか多少の副詞や形容詞を付けただけで、ねーねーでしばらく続く事さえある。会話になっているとは到底思えないのだが。 でも、女性の会話には中身の無い事が多く、いや、相手に考えを求めておらず、既に心が決まっており、大半は同意して欲しいのだという。全ての女がそうでないのはわかりきっているが、概してそうなのだそうだ。封建的な社会が長かったからなのかもしれない。それは保守的な生き物として当たり前の言動なのかもしれませんが。 保守的というと、何かリベラル派と復古派くらい革新性の内容が有るときに出てくる言葉に思えますが、先の封建的な時代があったからゆえに、女性は社会進出が遅れ自分で判断する事を恐れ避けてきました。そうしたことから味覚的にも冒険をせず、生まれて一番初めに認識できる甘味が好きなようです。 女子供と一括りにする考えもアレですが、実際お酒やタバコを男のように飲んだり吸ったりしている人は男みたいでもありますが。って偏見ですね。 おかまやゲイが市民権を得たとは聞いていませんが、日本ではTV局が女装趣味を否定していませんので、そういう文化の国だということですね。 こんなんでいいのかニッポン!

ちょっと違う気がする

日経マネーdigitalっていうサイトですが http://money.jp.msn.com/banking/columns/columnarticle.aspx?ac=2011052600&cc=05&nt=05 対象は20代・30代の男女で、「恋人なし」「交際経験なし」を合わせた未婚者の割合が63.7%。男性の正規雇用の場合54.7%が「既婚」か「恋人あり」であるのに対し非正規雇用では20.0%、また男性既婚率は年収300万円以上が25~40%(高年収ほど高割合)であるのに対し、300万円未満だと8~9%程度と雇用形態や収入の多寡が結婚や交際に、大きな影響を与えています。 なんかおかしいですね。 前半を具体的な数字で見てみましょう。 恋人がいる人20人と恋人がいないひと(昨日までいたけど今いない人5人と今までいない人5人)10人の30人がいたとします。交際経験なしは5人です。恋人なしは10人です。で、合計したら15人になってしまいますが、恋人なしに含まれている、今までなしも合計しちゃったらおかしいですね。その部分が二重に足されてしまっています。 後半は、当たり前ですが、昔からお金持ちのぼんぼんがスポーツカーで女の子をはべらして(?)キャーキャーいわれているのを見てもわかる様に、お金持ちがもてるのは当たり前です。また、これは因果関係、原因と結果が逆になっているような気がします。資産家の子でなくても微妙に根性がなく低所得で甘んじている人に魅力を感じるでしょうか?誰でも交際ができたり結婚できるとか思っているんでしょうか。普通以上の努力と積極性をもって望まなければ結婚はおろかお茶のみ友達さえ作れません。適当な相手を見つけて、健康であれば子供は作れるでしょうが(難しい場合もあるので一概には言えませんが)育てられない親はたくさんいます。本人が子供だからです。我慢ができない。根気がないから続かない。親がそこそこ裕福だと親が生きている間は少子化社会の今では何とかなってしまいますからね。昔はそういう者を「たわけもの」と言ったようです。相続すべきで責任もある長男以外のものが、他で成功を得られず、田をわけてもらわなければならない親不孝ものを「田分け者」と言って蔑視されていたのですが、それは兄弟が多い時代だけですね。今は就職にも親がついていくとか。なんて子供...

食文化

日本の食文化。それなりに歴史がありますからどの変の時代のことなのかで変わってしまいますが、実際にわかっているのは、せいぜい江戸時代くらいでしょうか。 江戸時代と言っても全体の話じゃなくて庶民に限定されます。白米なのか飯と、汁物、漬物(香物?)と言った質素なものが普通の食事だと聴いたことがあります。で、寿司みたいなものも食べられていたはずだと思っていたら、寿司の類は今で言うところのケーキに当たり、どちらかというと「祝い物」儀式のときだけ食べるものだったようです。 文化っていうことばは文明と同じように使ってしまいますが、必ずしも進歩しているだけを指してはいません。変わっていくということで言えば、言葉が一番変わっていそうです。

アニメって

ヲタクのことを書いてすぐに何ですが、好きなアニメや声優はあります(います) 好きな回というのでしょうか とらドラ 16話 踏み出す一歩 天使な小生意気 名誉も権力も吹っ飛べ! これが愛の力だ! なんかはもし見ることができるなら面白いと思います。 この回だけ見てもわからないと思うけど。 このころは「ゴリラーマン」とかコミックをよく読んでました。 なんか電車の中で平気で大人が漫画の本読んでるのは日本だけだって聞いたことがあったので恥ずかしくて家でしか読みませんでしたが。 もともとはいわゆるヲタクっぽい「アニメージュ」っていう雑誌?の「風の谷のナウシカ」を呼んでからいろいろ見るようになったのかもしれません。アニメ化映画化されたものは、明らかに子供対象な内容になっていた気がしますので、7巻のコミックを見られたほうが、世界観がわかるかもしれません。 宮崎駿氏は未来少年コナンの絵に似ている気がしていましたが、内容がエコロジーであったり文明や争いによって失うことを表現しているように思っていました、そういう主張の人だと。でも、どちらかというと生態学としてのエコロジーな部分は表面的なだけで、後の「もののけ姫」のキャッチになっている「いきろ」という生に対する力強さみたいなものを表現したかったのかもしれません。 とはいえ宮崎氏の主人公は10台半ばの女の子ばかりですが、そこもアニヲタの人気を得られた要因の一つだと、後から思えば言えなくも無いですが、ただ単に宮崎氏もその世代の女の子の不思議な価値観や力に憧れていたのかもしれません。 この種の感覚は小椋佳の「白い一日」に似ているのかもしれません。この辺をイメージしていただけると共感できます。 ナウシカという名前が非常に不思議に思えていたんですが、なぜかと言うと、ほかに出てくる人物の名前が「ジル」「ミト」「カイ・クイ」「ユパ」など二文字がほとんどだったから、元があるのだろうと思ったらコミックの説明に書いてありました。ギリシャ神話のオデッセウスが立ち寄る(漂流した)スケリア島の王女の名前でした。 エコロジーをも含有した生きることへの力強さは、いろいろな人に何かしら考えることを提起したように思いますが、いろいろな意味で(ヲタク的なだけではなく)深いものがある作品に思えます。