投稿

また夢を見た

最近死んでしまうことが怖くなくなってきた気がする。 以前は生きていたい方の人だったが、今は子供のことを考えなければ、あまり生きることへの執着がなくなってきているからなのかもしれない。 ゆめを見た。夢に出てきたのは父親だった。 特に会話もしなかったから、夢に出てきたという言うより、単に寝ている間に思い出しただけなのかもしれない。 母は病弱であったため心配であったが、先に父が亡くなった。 あまり心配されることはなかったのかもしれない。 自分が充分に大人になって思うのは。いつか子供と飲みに行けたらいいかな、何て言うことだ。 きっと父もそう思っていたのだろうと思う。私はあまり飲みにいかないので(前の会社では毎日飲みに行っていたが)そういう機会は結局作ることができなかった。 してあげればよかった。 最近生きることに貪欲でなくなってきたけれど、もしかしたら、子供に後悔させないようにするには、私がしょっちゅう「飲みに行こう」と言っていた方がいいのかもしれない。 10年以上先の話なのだけれど。 私自身は、何かほしいものなどを我慢されるより、素直にほしがってくれた方がありがたい。 どうして自分ができないことをひとに望んでしまうのだろうか・・・・・と、いつも思い 反省する。

水槽を撤去

しばらくいろいろな熱帯魚を飼っていましたが、うまく世話ができないので辞めてしまいました。 最後はオトシンクルスとコリドラスパンダだけでしたが、生きている間は1匹になっても処分できずにいましたが、最後の1匹が亡くなると寂しかったですが、もう悲しくなるので生き物は飼えないなと思いました。 なんて思っていたら、子供がめだかの卵をたくさんもらってきていました・・・・・・・・。

夢を見た

なんでもない普通の光景だった。 小雨が降っていて出かけようとしている父に 「傘持っていったら」と言ったのに「別にいいよ」と言われてしまった。 それが無性に悲しくて目が覚めた。 もうそんな言葉をかけたくても、いないからなのかもしれない。 涙が出てくるのは、泣いてしまうのは我儘なのだと思う。 思い通りにならないから涙が出てくるのだ。 あの時こうしていたら良かったとか 後悔することが、 生きていて欲しかったという無理な願いが 涙になってあふれてくる。 私はやるだけやったら諦めのいいほうなので 大抵のことでは後悔はしない。 でも死ぬという、どうにもならない、戻すことのできない いつか必ず訪れる別れには 我儘な気持ちを持ってしまい 泣いてしまう。

夏の甲子園 「おにぎり女子マネ」は美談なのか

「性別役割分業を助長する」と言うのがあったが、それはいけないことなのだろうか、といつも思ってしまう。 私は「らしく」というのは重要だと思う。女らしさ。男らしさ。上司らしさ。曖昧な表現だけれど、なんでもそうだと思う。仕事を制限するのではない。女のくせにというのではだめだと思うが、女らしく、男らしく生きていかなければ、少子化は食い止められない気がしています。 この辺は一概には言えませんが。 美談なんじゃなくて、美女やかわいい子だったりするから、そうでない女性から何だか「差別だ」的な反論が出てくるんじゃないだろうか。 どちらかというと、容姿的役割分業なんじゃないかな問題なのは。 こういった、いわゆる男女差を男尊女卑と結び付け、封建的まで持っていく思考では「こういったオジサン的・・」という結びになっているが、女性の容姿でモチベーションが左右するのは明らかに「若い男性」であることに誰か言及してくれないかなといつも思ってしまう。 職場がお役所仕事(お役所の方ゴメンナサイ)の場合は能力主義の人選で問題はないでしょうが、能力給でもなくやる気を起こさせるものが何なのかは、現場の責任者ならもうわかっていると思います。 論点をすり替える人はひとのことを「それはすり替え」などという。これは私の周りで、「ずるいよー」といっている者ほど、ずるいことを考えている者だという経験則だが、これは誰でも持っていると思うのだがそうでもないのかな。

うざいということば

うざいという言葉は大人は使わない。 今使っている子供(20歳を過ぎた大きな子供含む)がいつか大人になっても、まだつかっているのかもしれないですが。似たように若者しか使わなかった言葉に「ださい」がありますが、これは普通に定着してしまった感があります。 いろいろ調べてみると サボタージュからサボる。ダブる。などカタカナが混ざったような和制の「何か」がいろいろあったりします。 「ださい」は発生や語源を「惰性」に求める説がありますが、40年近く前に運用?していた頃、埼玉県民が必死に「だっちば」と言っては千葉県民もださい仲間にしようとしていましたが、根付かなかったことを考えると起源的には、やはり埼玉県民に対する表現なように思います。 ださいはやっぱり、なんだか大人でもパステルカラーなちょっと腑抜けで優しい感じの埼玉県民にぴったりな形容詞なんじゃないでしょうか。 埼玉を走る電車に乗るといつも思うのです、大人の男の人でも結構明るい色を着てるなと。昔で言うところのニューファミリーとでもいうのでしょうか。男の人でも力強さはないです。そこが「ださい」ところである意味憎めない部分でもあります。 なので私は「ださい」を使うときは、単にかっこ悪いという意味合いでは使っていないのですが、全体としては全くよくない意味にしか使われなくなってしまったように思います。 それに比べると、千葉県民のカラーは渋いというか地味で、グレーやワインレッド(というと聞こえがいいが)いわゆるジジババくさい色が似あう県、道行く人もそんなカラーが多いように思います。最近はしらないけど。 まあ、どちらにも結構住んでいましたが、いい街です。大宮も習志野も。 (そんだけで県全体を語るなっ と聞こえてきそうです) で、うざいですが、鬱陶しいとかの意味に近いのかもしれないけれど、目障りと言った意味合いなら うらやましいにも近くなってくる。実際子供たちが使っているのを聞くと30歳くらいになっても「あいつ、うぜー」のあいつを見てみるときれいな女の子を連れて歩いていたり、ある意味自慢している風であったりする人に対して使っているから、あまり「うざい」をつかっていると嫉妬深い感じに思われちゃうのではないでしょうか。などどまたまた心配したり。 言葉ってよく考えて使わないと、意味がどんどん変わってしま...

ダイエットなど

ダイエットをしなければならない体型なわけですが、すぐに忘れてしまいます。結婚していなかったりすると、そのことをきっかけや目標として痩せようなんて思えるんでしょうが、何か今更感もありすぐに忘れてしまいます。 少し前に酵素のダイエットをしようと、お嬢様酵素というのを2本買いました。ここでレビューする気もありませんが、1日目は酵素だけで断食状態になるので、3kg体重が落ちていました。これはお休みの日じゃないと実行できません。その後残りを説明書通りに飲みましたが、変化は有りませんでした。特に効果が無いと言うつもりはありませんが、飲むだけでは痩せられないと思います。 基本的には苦痛になるのが一番いけないのだと思いました。炭水化物を抜くと「頭が回らずやる気がなくなる」という話をしたら、「それは気のせい」と簡単に片付けられてしまったことがありますが、実際やる気になりません。というか仕事に支障が出ました。 どうやって自分にやる気を出させて継続させるかが成功への道な気がしています。 これはおそらく、勉強なんかも同じように思えます。 苦痛なだけだと続かないですね。少なくても自分はそうでした。楽器の練習なんかだと、「このフレーズができるようになりたい」と思えば筋トレのようなハードな練習も(部分的には)するでしょうが、いまから楽譜を初見で読めるように勉強するのは正直面倒臭いです。自分のパートが読めてればいいじゃんとなってしまいます。 アレンジャーになるならもっと知らないといけないんでしょうが、その願望が無いので。 だからダイエットもその後の、何か楽しいこととセットでやっていかないと、しかもちょっと自分にご褒美をなんて生易しいものじゃなくて、がっつりお金をかける幸せが目に浮かぶような「快」がないと駄目なのかもしれません。 以前は煙草を吸っていたりしたんですが、喫煙が体に良くないことは誰でも知っていますが、なかなかやめられません。煙草を止めて太ってしまい高血圧や糖尿になっても不健康には変わりがないですが、太ると動くのが面倒臭くなるので、痩せてた方がいいです・・・・。

橋下徹発言

橋下氏「愛人かこって」発言批判にイライラ…「真意は」迫る朝日、ネット上では大阪に“愛人特区”との揶揄も こんな見出しがMSNのできごとに出ていた。 慰安婦についての発言も問題視されていたが、およそ問題と思われるところは感じられない。冗談で言っていいことと悪いことが・・のように本当に何でもごっちゃに語ろうとする方がいらしゃるが、概ね容姿があれである。 従軍慰安婦は正直論点がずれていて、強制労働はかわいそうなのだが本人たちの証言から、日本軍の従軍慰安婦ではなく洋公主など、アメリカ軍相手の慰安婦(正確には売春婦と強制売春)なのだったのではないだろうか。 日本人は・・という括りは少し危険かもしれないが、売春だレイプだという言葉だけに反応して、人前で話題にしずらいことは話してはいけない、やったかもしれないように言われているからとりあえず波風立てないように謝っておくか、という感じに思われてしょうがない。かくいう私も日常会話の中で慰安婦なんてあまり言わない。 そういった意味だけでも問題提起してくれる橋下氏の発言は活性化につながっていいことだと思う。ライダイハンも橋下氏がいなければしることはなかった。知られて困る人たちが必死で批判しているようにも思える。 従軍慰安婦が無かったのと日本軍が強制連行したのでは全然違うのだが、そんなことをいちいち弁解しないことが潔いかのように思っていると、とんでもないことになる。というのはいままでの経過を見ていると割と誰にでもわかりそうだ。 犠牲者の気持ちを踏みにじる・・・こういった表現を使う人たちは立証せず心情に訴えるだけなので話に中身がないことが多い。また、容姿があれなひとが 多い。 女は愛人にでもなっておけばいい、という女性軽視なのではなく愛人にもなれない嫉妬から愛人にしてもらえないことを差別だといっているようにきこえてならない。今は愛人と言っても女性だけを指しているわけではないし、体を売ってる男もすごい人数いる。女性の方が多い職場にいるせいか、すでに女性の人権なんて十分に認められている気がする。かえって男の人の方が見栄を張るのか、産休はとらないし有給も消化していない。 比べて女性はほとんど無理なく権利を行使しやすい。 単に力仕事に向いていないので、仕事が制限されるだけ。また、生理によって味覚が一定で...