南京事件

私が子供のころには特に学校の授業などにも出てこなかったので、不思議な感じではあったけれど、ある時点から大虐殺という見出しをよく見るようになった。その後ネット上で時々見たりしたけれど従軍慰安婦はどこに行ってしまったのか?と同じように実際にはなかったのではないかと思えている。

右や左も思想としてどちらよりかというのは、ある程度あるのかもしれないけれど、特に団体に入って活動することもなく、未だ主張したこともない私なのでプロパガンダがどうした、ということに興味はもてないが、私の父は戦争に行っており満州の地も踏んでいたから知りたいとは思った。

虐殺とか侵略とか犯罪かどうかよりも、人を殺してしまうとか、隣で友達が撃ち殺されるとか悲しすぎて戦争中の話なんて聞く気にならなかった。だが私の友人が泊まりに来たときに私がいない間に戦時中の話をしたらしく、南京に行ったら何かのお薬を買うように言われたお金で、南京豆を買って死ぬほどの伝染病になったらしいと話したらしく、おちゃめな人だと後になって知った。

友人の話では戦車に乗ったことはあるが発砲したことはなかった、というのである。では、南京は見たのかと言うと行っただけらしい。お酒が好き(というよりは依存症)であり正月など、お酒の入った帰り道では、同期の桜とか予科練とかを歌っていたからそんな想い出なのかと勘違いしていた。

その後は戦争の話も聞けるようになったけれど、発砲すらしていないから緊張感はない。ただ関東大震災も東京大空襲も体験はしているから、辛い思いではあるだろう。

南京(時期がタイトルのものと同じかどうかよくわからないが)で父は中国人の兵隊をかわいそうに思っていた。末期のゼロセンは体当たり戦なので、帰りの燃料もない状態で飛んでいくが予科練志願者は多かったようだ。それに比べると中国兵士は国に無理やり戦わさせられている感が強かったらしい。戦場から逃げ出さないように足が鎖でつながっていたこともあった様に言っていた。

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