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5月, 2011の投稿を表示しています

食文化

日本の食文化。それなりに歴史がありますからどの変の時代のことなのかで変わってしまいますが、実際にわかっているのは、せいぜい江戸時代くらいでしょうか。 江戸時代と言っても全体の話じゃなくて庶民に限定されます。白米なのか飯と、汁物、漬物(香物?)と言った質素なものが普通の食事だと聴いたことがあります。で、寿司みたいなものも食べられていたはずだと思っていたら、寿司の類は今で言うところのケーキに当たり、どちらかというと「祝い物」儀式のときだけ食べるものだったようです。 文化っていうことばは文明と同じように使ってしまいますが、必ずしも進歩しているだけを指してはいません。変わっていくということで言えば、言葉が一番変わっていそうです。

アニメって

ヲタクのことを書いてすぐに何ですが、好きなアニメや声優はあります(います) 好きな回というのでしょうか とらドラ 16話 踏み出す一歩 天使な小生意気 名誉も権力も吹っ飛べ! これが愛の力だ! なんかはもし見ることができるなら面白いと思います。 この回だけ見てもわからないと思うけど。 このころは「ゴリラーマン」とかコミックをよく読んでました。 なんか電車の中で平気で大人が漫画の本読んでるのは日本だけだって聞いたことがあったので恥ずかしくて家でしか読みませんでしたが。 もともとはいわゆるヲタクっぽい「アニメージュ」っていう雑誌?の「風の谷のナウシカ」を呼んでからいろいろ見るようになったのかもしれません。アニメ化映画化されたものは、明らかに子供対象な内容になっていた気がしますので、7巻のコミックを見られたほうが、世界観がわかるかもしれません。 宮崎駿氏は未来少年コナンの絵に似ている気がしていましたが、内容がエコロジーであったり文明や争いによって失うことを表現しているように思っていました、そういう主張の人だと。でも、どちらかというと生態学としてのエコロジーな部分は表面的なだけで、後の「もののけ姫」のキャッチになっている「いきろ」という生に対する力強さみたいなものを表現したかったのかもしれません。 とはいえ宮崎氏の主人公は10台半ばの女の子ばかりですが、そこもアニヲタの人気を得られた要因の一つだと、後から思えば言えなくも無いですが、ただ単に宮崎氏もその世代の女の子の不思議な価値観や力に憧れていたのかもしれません。 この種の感覚は小椋佳の「白い一日」に似ているのかもしれません。この辺をイメージしていただけると共感できます。 ナウシカという名前が非常に不思議に思えていたんですが、なぜかと言うと、ほかに出てくる人物の名前が「ジル」「ミト」「カイ・クイ」「ユパ」など二文字がほとんどだったから、元があるのだろうと思ったらコミックの説明に書いてありました。ギリシャ神話のオデッセウスが立ち寄る(漂流した)スケリア島の王女の名前でした。 エコロジーをも含有した生きることへの力強さは、いろいろな人に何かしら考えることを提起したように思いますが、いろいろな意味で(ヲタク的なだけではなく)深いものがある作品に思えます。

アニヲタって

おたく って言う言葉がまるでコアなマニアやコレクターの様に、肯定的に使われ始めて久しいですが、アニメファンのことをオタクとは言いません。 オタクの語源は良く知りませんが、使われはじめたのは宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999くらいの頃だったと思います。「お宅はわかってない」「お宅はまだファンとはいえない」など相手を「あなた」や「おまえ」といわず「お宅」と呼ぶ人種をオタクと定義したのは正確な発祥です。 その後カメラ小僧とかアイドルの過度な追いかけなども含め、複合的にヲタクになっていきました。 ヲタクは決してコアなファンをさす言葉ではなく蔑視した表現であることを、湾曲した解釈をしないようにしましょう。でも日本語は使い方があいまいな人種によってどんどん変わってしまっているからもう違った意味になっているのかもしれません。 オタクがお宅か否かを知るのは簡単でお宅と呼ばれて否定するものがお宅であるといわれています。 とはいっても大して知識もなく無駄に一日アニメDVDを見ているのは堕落したニートであってオタクではありません。 お宅は価値があろうが無かろうか関係なく自分の興味の対象にアクティブです、研究熱心です。知識勝負ですから書籍も持ってます。負けず嫌いです。そうでないとしたらヲタクではなく、ただのファンです。 悲しいことにキャブレター車を知らない世代は基本的に車を外見しかいじらず、ステアリングを替えたりします。バキューム進角やタイミングライトと言っても何のことかわからず話す私を車オタクといいます。DVDのオーサリングの話をするとコピーオタク(コピーじゃ無いのに)PCを自作し焼けたコンデンサーを替えれば半田オタクと言われました。 今の20才台は一体何ができてどうしたいのかわかりませんが、恐らく日本は技術で他諸国に秀でているとかいまだに思っているのかもしれませんが、もう自慢する国内企業は無いと思ったほうがいいのかもしれません。 ソニーは日本の会社ではないかもしれません、トヨタはGMにぬかされています、 若い人たちの中から教員ではなく研究者が生まれてこなければ、日本は本当の意味でも中国韓国に抜かされてしまうと思います。日本人の多くは一ヶ国語しか話せません。 勤勉で根性乗った研究者気質の日本人がつくった文化の上にあるだけで、日本人を語る生涯子供が多くなっ

マネジメント

始めてこの言葉を使った時は「マネージメント」と言っていた気がします。だから和訳的には「マネーアレンジメント」だと思っていました。経営的には経費計画みたいなものを管理するからマネージメントであると。 後にERP(エンタープライズリソースプランニング)と言う言葉を知ってからはERPが私の考えていたリソースプラン=お金の使い方に近いであろう事を認識しました。 ドラッカーはAKB関連のプロデュースもする方の著書の「もしドラ」から、かなりの人が名前は知っているものとなりましたが、私としては「もしドラ」のネーミングがどう考えても「とらドラ」から来ているように思えてなりません。 専攻が経営工学であったのでドラッカーは良く見る名前でしたが、今回の「もしドラ」がブームになったことで、いろいろな事を知りました。 実はドラッカーの父親とイノベーション原理のシュンペーター(工学部的にはこちらのほうに感銘を受けていた)が知人であったとか、・・・一番は当時はまだ生きている人だったことが驚きでした。 私の中ではエジソン級、とまでは行かなくてもマルクスやレーニンの仲間にしちゃってましたから。 このドラッカーの「マネジメント」について熟知しているわけではないですが、「もしドラ」で起こっているように、およそ人間の行動や集団には適用できる考え方であるとは思います。 これほど体系的な整理された考え方ではないにせよ、人生の中で小集団を作り、それが会社組織に似ている感覚は管理業務に近いことをされた方は気が付かれている事と思います。 管理業務って会社の管理職じゃなくて、何かの実質的なリーダーっていう意味です。 学生時代にバンドを組んでいました。ブラスバンドのように大人数ではなくいわゆるコンボです。各パートにはそれぞれ「リズム」「メロディ」「ハーモニー」の役割が複合的にあって(分かれているわけではない)担当しています。 バンド(という小集団)の目的は別にバーベキューサークルでも良いのですが、目的を持って集まってきます。いまどきは「出会い」なのかもしれません。いわゆる下心ですが開き直って「出会いのために集まってる」と言い切ってしまっては、既にそれは下心ではなく目的になっています。不純なのか程度が低いのかは別として目的ではあります。 話がそれまくりですが。そのバンドも参加の目

水槽の中

昨日はえびさんの繁殖用に繁殖ケースに全てのえびさんを移動し(6っ匹しかいなくなっていました)に買って来たウイローモスをひきぶくぶくを設置し1地時間おきに見に行く事をしていましたがさっき、グッピーの新しい子供を発見、えびさんの産卵場は稚魚の場所になりました。 ってまだえびさんはおなかも大きくなってないので産卵は先だろうし、もしかすると温度とか条件を揃える必要もあるので、あしたは大き目の水槽を買うようになるのかな。 観賞魚のつもりでしたが、飼ってみると寿命もあるし、生き物なのでやっぱり繁殖させたいなという思いがおおきくなってくるもんですね。実際にやってみないと自分の中の気持ちのことなのに予想とぜんぜん違う結果になっていきますね。 これからもどんどん変わっていくのでしょうが、ネットで文字や絵の情報だけでいろいろ判断する若者が多くなってきているようですが、事実とか正しいとかの前に自分がどうしたいのかをしっかり持つ必要があるのかもしれない気がしました。 団塊の世代には特有の、共通の雰囲気とか判断基準みたいなものがあります。大丈夫が口癖で小さい事にかまわないのもだいたい共通に思えます。勝てば官軍的な思考でルールを無視しても結果オーライな風潮というのか。またその次の世代も団塊の世代のおかげで、草も生えない状態の平野に放り出されて、どうしたらいいかわからないような感じです。 その後新人類とか、マニュアル世代とかいましたが、根拠が無いのに自信だけある世代を経て、頭でかっち批判世代、ソース要求世代と各時代にそれぞれの価値観で文化を造ってきたのかもしれません。 良いか悪いかを判断するのは難しいところですが、幸せかどうかは分かる気がします。 自分が体験して納得できたか、というところでしょうか。情報化社会といわれてずいぶんたちます。10歳までで60歳が経験した事と同じ情報を押し込められた教育には、感動はほとんど感じる余裕が無かったのだと思うし、そういった尺度さえ持ち合わせていないので、ナンセンスでくだらない事になってしまっているのだろうなと憂いしまいます。 だから生きる理由も見つけられないんだろうなと。

えびさんのその後のその後

えびさんは、「みなみぬまえび」という淡水でも繁殖できるのを飼っていこうと思ったので、繁殖容器のほうに残った分だけ移動してみたけど、なんだかぶくぶくを入れたら流されそうなので今日はウイローモスを買ってみたので、狭いけど繁殖容器に入れてみました、の図です。 この容器じゃ、稚えびは流されちゃいますね。何とかしないと。

授業参観

幼稚園だから父母参観というのかもしれない。 年中になって初めて子供のクラスを見に行ったのでどういう友達が残っているかと思ったら、知った顔が一人しかいなかった。覚えていないだけで何人かいるのだろうけれど。とか思っていたら、唯一見覚えのある子が帰るときに「ばいばーい」といってくれた。 授業参観で思った事はあまり多くは無く、周りの子供に比べるとうちの二人は終始ニコニコうれしそうだたので行ってよかったとは思えた。 で、帰りのバスのことだ。当然ママさんたちと一緒になったが、話す声が半端なくうるさい。イメージとしては貸切の小学校の遠足のバスくらいだった。どんなかな。中学に行くころにはもう少しマナーとか礼儀(同じか)が身についてきて、もう少し静かになると思う。 自分たち以外に乗っているのに我が物顔で、恐竜のようだった。注意しようかとも思ったが、今後の事を考えて止めておいた。根性無しな私であった。ただ付和雷同にはなりたくはない。日本人が馬鹿にされるのも分かる気がしたけれど、きっとあの人たちは自分の事を言われているとは夢にも思わないんだろうなと思う。 まだ、自分が高校生のころだったか、子供の教育や躾の話で、電車で遊んでいる子供を親が注意する時に「危ないでしょ、止めなさい」と言っているのを批判しているのを見た事があった。「危ない事を注意する前に、他人に迷惑を掛けている事を注意できないのか」という内容だったと思う。もうそんなことを通り越して親自身が迷惑な時代になってしまった。「何が悪いのよおばさん」はもっと年を取っていたと思うんだけど。けっこう若いママさんがあれじゃ・・・・

えびさんたちのその後

全滅してしまいましたえびさんですが、今回は増やしたい事もあり種類を替えました。