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クリスマス

小さい頃はサンタクロースがいるとかいないとかというより、プレゼントをもらうという習慣すらなかったから、あまり考えたことは無かったのだけど、ある程度の年になって(どれくらいの年だ)あれってキリスト教の習慣なんじゃ?って思ったりして、信者に聞いたことがありますが、どうもキリスト教(いろいろ派閥みたいのはあるのでしょうが)感謝祭が盛り上がるようで、クリスマスは商習慣として見ていました。 特に日本人は流されやすいというか、隣がしていることに左右されますね。特に団塊の世代とその子供の世代でしょうか。あまりそういった括り(レッテルともいう)はしたくないのだけれど、わかりやすいので使ってしまいます。 大勢いると「なにも自分がしなくとも誰かが・・」って思うんでしょうか、「いいのいいの」が口癖だったりします。私も結構大雑把な性格ですが、その世代の人たちは、正しいか?合っているか?ではなくて、大丈夫か?が基準になっているように思います。 駅で「ご自由にお使いください」とあれば必要以上に持っていきませんが、必要と言うのが、見ていないところでは、「うちの子が利用してるのは隣の駅だけど、あそこにはないから、同じ経営の駅だし」と自分勝手な理屈で「大丈夫」にしてしまえるのが、団塊の世代とその子供たちだと思っています。基本的には悪党ではないんですが、大挙して徒党を組むと大変なことになる存在です。脱税したりもするでしょう。払えないからしょうがないと言い切れるのもこの人たちです。 話がずいぶんそれてしまいましたが、人口の多くを占める「団塊の世代とその子供たち」は比率が多いこともあって、その時代のカラーを作ってきたのだと思います。テレビが付いていないと寂しいように、クリスマスのパーティーをしないとなんだか寂しくなるのかもしれません。 恐らく「脱個性」を強いられてしまった・・実際にはそんなことすら考えていられないほど、目覚ましく経済や生活環境が変化していたのかもしれません。だから、かれらは悪いわけではないです。 今までは。 これからより高齢者社会になっていきますが、団塊の世代の方々の「判断の感覚」が問題になってくるのは生産性がなくなって消費するだけの立場になったこれからなのだと思います。年を取ったということが社会のお荷物なのではなくて、良否の判断や人としてを教えることが

昭和の人

平成になって25年もたちますが、昭和の時代と言うのが、今とそれほど違っていたとは感覚的には無いのですが、これが大正や明治を生きてこられた方からすると違うものなのかもしれません。 だいたいの場合は自分の生活環境が年齢とともに変わってしまうので、昭和と平成の違いではなくて、自分がその時学生だったりや独身だったりと今の環境と違うだけで、そんな比較になってしまっているのがほとんどです。 ただ、概していえるのは昭和の人は「温かかった」ということでしょうか。 自分も昭和を生きていましたが、自分たちの事ではなく、すでに亡くなられた人たち・・・明治や大正のご老人たちのことをそのように感じているのではないでしょうか。少なくてもオレオレ詐欺のように、弱者を騙すような輩がこれほどいた時代は過去の日本にはなかったのではないかと思います。 私はカッコ悪いと言われてもあまり気にならないのですが、卑怯者と言われるのは、非常に嫌いです。そう言われないよう、ものすごく努力します。 今の若者はそう思うのでしょうか?私は今の若者ではないのでしょうか。 ないですね。 私は決してやさしい人間ではありませんが、卑怯者ではありません。と、はっきり言えるほど、自分の生き方には誇りを持っています。失敗はしますが人に言えないことをしたことはありません。ギャンブルで負けたとか (勝った場合も)そんなことをしていることを、子供に言えないのではないでしょうか。それはやるべきことではないと言う事です。時と場合を考えて 言わないことも中にはありますが、言えないことはありません。 そして私の周りで、ギャンブルをしている人もいません。生活保護受給者が「パチンコぐらいやらせてくれ」と言っているのを聞いたことがありますが、受けていない人でも、そんなことしている生活の余裕はありません。

J-POPっていうもの

K-POPっていうものを国をあげて宣伝していたのも、もう遠い昔に思えますが、既に影もなく一部のグループが残っているだけなのでしょうか。私の周りでは子供が曲に合わせて踊っているのを見たことがありますが、楽曲に対するコメント(感想)を聞いたことがありません。韓国産に限らず、それがある意味正常な状態なのではないかと思いますが、その国固有の音楽ではないので、特に外に向かって宣伝しなくても良いようにおもいました。国の文化的背景や伝統的な奏法など、なにも背景に感じられないので、ミュージシャンとしては面白みに欠ける、音楽離れに拍車をかけるメディア展開であったような気がします。 そもそも、J-POPでさえ、そんなジャンルや分類があるとは思えませんでしたが、結局昔のフォークソングやニューミュージックなどの派生でJ-Rock? なんて言えないので、演歌や洋楽と区別したかっただけなんだと思いますが、そう言った日本国内の分類に韓国曲を同列で考えるのがおかしい気がします。洋楽ではないのでしょうが、K-POPとは国内での呼称にしておけば押しつけっぽくならなかったのではなどと思いますが、既にこのジャンルの考え方が、先の国内用の分類でしかないですから、いかに日本国内に韓国を広めようとする勢力が多くなったのかがうかがい知れます。 音楽としての文化程度が下がらないように気を付けないと何もない国になってしまいそうです。などと憂いてももう遅いのかもしれませんが。

外国人

国内で普通に生活していると、外人さんってあまり見かけなかったのだけれど、いまは結構生活の中にいたりする。 職場にもお昼を買いに行くコンビニにも、ホームセンターのレジなんかにも結構いるようになった。帰化しているかどうかは分からないから、外人さんなんて呼び方はもしかすると「差別」になってしまうかもしれないけれど、実際のところ、自分にとっては外の人でしかない。受け入れられない人たちなのだ。 鎖国をしていたころの人たちの感覚はわからなくないのが、島国根性なんていわれてしまう所以なのだけれど、それでもなるべく平穏で安泰な方がいい。別に生活は安泰じゃなくて苦しいのだけれど、今以上に考えなければならないのは面倒くさい。 大体国内でも宗教的な問題では結構神経を使う場面があるのに、これに異文化のイスラム教などよく理解していない人種とかかわっていくのは大変すぎ。 仕事もろくに覚えられないのに、これ以上何かを広げるのって負担でしかない。 経済発展などの支店は持ち合わせていないけど、まずはいらない通貨スワップとか、感謝されない援助を辞めていけばいいのではないかなと、思う今日この頃でした。

子供の記録

最近、と言うか結構前からですが、子供の写真をネットに上げられなくなってしまいました。赤ちゃんならいいのでしょうが、学校に上がるといろいろ言われそうなので。 子供が生まれたころは、きっと5歳くらいになったら憎たらしくなるんだろうな、と思っていたら、何だかいつまでも可愛くて、男の子なのに困ったものです。でも可愛いです・・・7歳ですが。 双子であることは結構メンドクサイことが多く、不経済ではあるので不満もありますが、最近やっと双子であるメリットも出てきたので、まぁその辺の辛かった日々は思い出にしてしまおうかと。 二卵性ではありますが、兄弟なので当然他人よりは似ています。「よく見分けが付きますね」なんていうのは一卵性の双子に限った話ですから、そう声をかけてくれるのは、ある意味違う種族・・・うちがサル系の顔なら、馬系とか鳥系とか魚系とか種が違う系統の顔立ちなんだと思います。個性的な・・・実際そうなんですが。 ・・う。 サルは飼ったことあるんですが、犬は飼ったことが無いので、ほぼ犬の顔は区別できませんが、サルなら犬や猫を飼っている人より区別できそうに思います。差別じゃないですが、人種でも同じことが言えるのではないでしょうか。黒人でも白人でもいろいろな人種に友達がたくさんいたら区別できますが、いない人には難しそうです。 区別がつきにくいのはその周りに同種の人がいない、少ないと言う事は察せられます。トモダチガスクナイ  っていう感じなんでしょうか。私も多い方ではありませんが、ゆかいな仲間たちは結構いたりします。

在日韓国人差別か、政治的信条か…婚約破棄めぐる訴訟の行方は

なぜ差別という言葉を使いたがるのだろうか。 婚約が破棄されれば悲しいのかもしれないし、その理由が人種差別だとしたら後になって腹立たしくもあったのだろう。正当な理由にならないのだろうか、在日韓国人の子孫というのは。 分かってから婚約したのならまずい気もするが、差別と区別は違う気がする。 また、政治信条というより将来の保身なのではないだろうか? 差別を自分がしたくは無くても、いずれ発覚したであろうが、わかってしまえば、それを隠し通せるものだろうか?今のところ、一般的には強制徴収だか不当につれて来られた韓国人はそう多くは無いように思える。この祖父である方が密航により不当に在日として居続けたのでなくても、区別がつかないのではないだろうか。 在日の人たちがみな悪者であるわけはないが、韓流などというものは結局何もなかったわけで、K-POP同様、J-POPというのも実はマネでしかないように思えるが、それはそれとして、そんな程度のつながり、信頼関係しかないのだから結婚していたら多分大変なことになっていたと思う。 お互いのために良い選択であったという結果だけは明確だが、名誉棄損なのか損害賠償だけは何か「お国柄」として納得してしまう私は偏見の塊なのであろうか。 韓国人は決して嫌いではなかったのに知れば知るほど係り会いたくないと思う細菌であった。差別する気はないが民族によってずいぶん違うものだとは思わざるを得ない。

飼育するということ

あまり動物を飼うのは得意ではないのですが、なぜか飼い続けています。 動物が飼えないマンションなので、犬猫はむりですが、熱帯魚、ザリガニ、カブトムシなど。 子供が好きで飼い始めるのですが、狭いところに押し込めているのがかわいそうで自然に帰してあげたいと思います。 生き物は大抵人より寿命が短いので「死ぬ」ということにいつか直面します。買い換えてしまうことが気にならないようでは、なんだか意味がなかったようにも思いますし、かと言って、精肉業で働くようになるなら、そんなことも言ってはいられないのですが。 なかなか子供を育てるのは難しいと思います。結局は見たり聞いたりして、どう感じたかで形成されることが多いのでしょうから、教えるなんておこがましいとしか思えません。 勝手に育つのでしょうが、最低のルールは教える必要があるでしょう。 人に迷惑をかけない ますます、あぶないでしょー とは叱っても 迷惑でしょ としかる親を見ることはほとんどありません。 これって 若い親なんじゃなくて 団塊の世代のことなんですが。 団塊の世代の子供が自己中心的、というか「そんなことより自分のこと」教育の賜物なんだとおもいます。 損しちゃった、とか そんなのずるいよ  とか言ってるのはもうそれです。 普通の大人は、特に男の人はいわないです。

ヌマエビのこと

動物なんかは死んでしまうと悲しいので犬等なかなか買う気になれないのですが、お魚も同じで死んでしまうのは悲しいです。が、犬やサルに比べると個体差がわかりにくい。実際には体の柄とかで区別は付きますが、呼んだら近寄ってくるとかはないです。 犬や猫はあるでしょ。魚はいつまでも逃げ回りますから、信頼関係ができない分感情移入は少ないです。また、死んでしまうのが悲しいけれど、子供を産んで増えたりすればそれはそれでよしとは考えられます。 ミナミヌマエビが抱卵して増えるようになるまでは苦労しましたが、もともと寿命が短いので天寿を全うしてお亡くなりになる分には悲しんではいけないなと思うようにしています。 増え始めたら結構いい加減にしていても 耐性が付いてくるというのか、丈夫になった気がします。それでも水が悪くなると全滅するかの勢いでパタパタとお亡くなりになります。 基本的にはコリドラス用のエサをあげているのですが、他の水槽でオトシンクルスを飼っていることもあり、キャット(ナマズ)系のを上げてみましたが、数日後に水質が悪くなり、臭くなってしまい、たくさんお亡くなりになりました。 水が汚い状態では・・腐った状態からは復帰することもないので、なるべく水質を変えないように水を入れ替えて・・・なんていうことはできるはずもなくどんどん替えてしまいましたが結構何とかなりました。以前は水替えで全滅な感じだったのがウソのようです。 そんなわけで、増えることができれば多少死んでも飼うのは大丈夫。なので、ヤマトヌマエビよりミナミヌマエビ、オトシククルスより、プラティを飼うことの方が抵抗がありません。

国旗掲揚と国歌斉唱

自分が学生だった頃は、学校行事では何かと君が代斉唱であったけれど、なんとも厳粛な気持ちで(意味はほとんどわかってなかったけれど)日本国民であると意識する瞬間だったと思う。 なぜか学校教育で国旗掲揚と国歌斉唱を強制としない、という話題が出ていたりする。国旗掲揚と国歌斉唱が不可だと言っているのではなく、あくまでも強制ではないというだけのことなのに、なぜか、非常に日本国民であることを拒否しようとする、日本人であることを意識させないようにする力が働いているかの様に感じられる。そのことには民主党時代にみんな気が付いてしまったのに、まだ、こんなことを論議しているのかと思うと、なんだかなぁーとも思えるのでした。 選挙にいかないと組織票を持っている、あんな政党やこんな政党が議席を増やしそうで嫌だったんですが、じゃーどこに投票すればいいんだー状態でやっぱりいかなかったし、そういう人がおおかったんだろうなと思いつつ他人事にしてしまった反省が少し頭をよぎるのでした。

バーベキューに行こうかな

子供が夏休みのうちにどこにも連れて行っていないことを忘れていました。 いや、数日前に毎年行ってる、木更津のホテル三日月・・・金風呂や銀風呂・・・は入らなかったんですが、プールには行って来ました。 バイキングが良かったので行ったのですが、昼はだめでした。麺とか炭水化物ばかりで、肉体労働者じゃないと元が取れそうもありませんでした。 帰りに、アウトレットに行こうとしてましたが、私はカインズホームの方が楽しくて、子供もそこのペットショップのハムスターから動きませんでした。カワイイカワイイと言ってるときは、カッテカッテと同じですから、部屋片付けしてからね。そうしないと踏み潰しちゃうかもよ。といったら、帰ってからものすごく片付けていました、その日だけは。 グッピーとプラティとミナミヌマエビだけでいっぱいなのに、ざりがにやカブトムシまで飼いやがって、もうこれ以上、私は世話をする気はありません。かぶとむしは時々脱走もします。なんだか餌にこばえみたいのも湧いたりします。ざりがには臭いです。えびも臭くなりますが、そのために水を替えます。一気に替えると全滅します。 でも、巣箱のはじっこでころがっている丸っこいハムスターをみたら欲しくもなるのでなるべく見ないようにしていました。 まぁ、たぶん買うことになるのですが。 明日も休みなので、どこかで何か焼いて食べたいかなと。炭焼きならなんでもおいしくいただけるわけですが、バーベキュー可のところに行かなくてはなりません。なるべく無料のところで。 実家の近くに香澄公園というのがあって、以前体の不自由な母を連れて家族(私の親)といっよに行ったのを思いだしました。あそこだったら、一緒に行けるかなと思いましたが、もう父はいないのでした。 もともとあまり家に帰っていなかったのですが、電話だけしていたら、「いつか会いたくてもいないかもしれないから、なるべく帰ってこられるときには顔を見せろよ」と言っていたのを思い出したら涙が出てきました。 本当に孝行したいときに親は無しです。ちょとちがうかな、「孝行できるときに」ですね。 親子でも会わない期間が長いと、もう死んでしまっている事さえわからなくなって、錯覚して会いに行こうとしたりする。そして後悔する。 もう遅いんですけど。

選挙行きませんでした。

行きませんでしたっていうか、行けなかったですが仕事していました。会社についてから今日は選挙だったかと思いだしても後の祭りで(これはアフターカーニバル?)まあ、どこに入れようとかもないので、投票に行きませんでした。 投票に行かないと、組織票を持ってる某2つの党が有利になってしまいそうですが、ではいったいどこに入れろと・・・・。 自民党の何と言うか、癒着というのかそういうのを脱却してほしくて前回は民主党に投票したら大間違い、震災や原発の処理では人災とまで言われるほど、判断だったようなので、維新当たりいれるべきだったのでしょうかね。 もともと政治に興味がないなんて言ってると、どこの人種化もわからない人たちに政治を乗っ取られ・・・国もかな?・・・放送関係も結構そういう風に言われたりしていますが、本当のところはどうなんでしょうね。

入学式

今日は息子たちの入学式でした。 だいたいは両親が会の後にある説明会のために参加するのですが、預けることができなかったであろう兄弟も連れてきている家族がいました。校長先生の話の中で生徒数が増えてきたのでお願いすることも多くなってくるというのは、こういう参観行事に、じじばばは遠慮してもらうと言いたかったように思えます。 「小さいお子さん用の席はないので膝の上に」とはいっていましたが、さすがに「じじばばまでくるほど広くないですよ、生徒さんは200人家族5人できたら1000人入れないと溢れてしまいます。だからじじばばは帰ってください」とは言えなかったのでしょう。 私の前の席には、親夫婦とじじばば、お姉さんの5人できていましたが、そのために席に座れないお父さんが何人も出ていて、こういうところは早い者勝ちじゃないんだけどな、と言ってしまいそうになったのを抑えるのが大変でした。 言わないと何が悪いのかすらわからない夫婦なんだろうと思うけど、暴言を吐いてしまわないか、これからが心配です。

生きていくこと

たぶん中学生のころだったと思う。 なぜ生きるのかっていうことを真剣に考えたりした時期は。 大人になったらもうほとんど考えなくなってしまっていた。いつごろから考えなくなったのかはよく覚えていないのだけれど、きっと忙しくて忘れてしまったんだろうと思う。 忙しいというのは別に仕事で忙しいというだけではないのだけれど、その時々でけっこう一生懸命やっていたということなのかもしれない。中学生のころに感じた「虚無」のような、価値意識や・・なんと言うか大別すると人生観になってしまうこの大きなテーマはいつまでも頭の中を支配し続けてくれるものでもない。 中学生のころの稚出な感情と今とでは何も変わっていないように思えるのは、自分が成長だけではなく、時代とともに変化(退化かも)し続けてきたからなのかもしれない(ちょっとづつだけど) 大人にはなれないと思うし、なれないと思えるうちは大人ではなく、そういうことに拘り(興味)をなくしたときに大人になるのだろう。なってしまうのだろう。それはもう自分では尺度を失っているのでわからないのだろうと思う。悪いことではないけれど寂しいとは思う。

車のオーディオ

耳はあまりいい方ではないのですが、音楽は良く聞きます。 車に乗ることが多いので、というより家でほとんど聞けないので車ではそれなりの音がしていてほしいなと思い、時々弄ったりします。 出てほしい音があるのですが、低い音です。たぶんイコライザーだと一番低い方を上げるので60Hzとか(単位がよくわからない)もっと下の方かもしれません。人の耳に聞こえる範囲は30Hzくらいからだったでしょうか、パイプオルガンの音は全部は聞こえていないようです。 車についている純正のスピーカーも音が悪いとか思わないのですが、聞いていると時々聞こえるべき音が聞こえない時があります。ベースの解放弦の音です。え?っと思うのですが、不思議なくらいきれいに聞こえません。出せないというより出さない設計にも思えます。 そんななんでサブウーハーというのを後ろの方に付けてみたりしました。 それなりにな音が出るようになりました。 説明するの難しい。 関係ないかもしれませんが、昔、音響メーカーのCMで目の見えない人に色を音で表現する。それが雪の色だったか覚えていないのですが、ああいうのってすごいなと思います。途中から見えなくなった場合と違い、初めから全盲だった人に見せる、感じてもらおうとする意欲というのか、感性は今の殺伐とした社会の中ではなかなか芽生えてこない発想のように思えます。今は人のことなんて、自分に返ってくるからやっておこうみたいな輩しかいない様にさえ感じられるので。

いやもう2月ですね

気が付いたらずいぶん書いていませんでした。(ブログも書くっていうんでしょうか?) この間にいろいろあったのですが、まず水槽。 エビさんは、骨折入院時に半減しましたが、すでに飽和状態で抱卵していても生まなくなりました。もう増えるとエサ代が大変なだけなんですが、生まれないと寂しいもので、なんとか生ませたい。今は35cm水槽(?)なので60cmがやはり欲しいのですが、ヌマエビだけの60cm水槽ってどうなんでしょうか。 で、肝心なお魚の方なんですが、フィルターを固定するキスゴム(吸盤のやつ)の隙間に挟まっていたりでずいぶんお亡くなりになりました。気が付くと子供が4匹と生き残っていたオトシンクルスが2匹、3年になる大型のネオンテトラだけになってしまいました。 落ち方がよくわからないのですが、遺体がない。挟まっていたのは取りましたからあったわけですが、ほかに20匹はいたように思います。地震があったりすると外に飛び出して干からびていたりもするのですが、水槽回りを掃除してもでてきませんでした。 水が悪いのかもしれませんが、どこかに行ってしまったのは、もしかするとオトシンクルスがスカベンジャーだったりするのでしょうか?気になります。 というわけで、そろそろ水槽弄りも復活させようと思います。(周りの掃除は毎日してるんですよ)