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橋下徹新大阪市長、BBCで「暴力団員の息子が当選」と報道 なんていう見出しが

タイトルのような見出しの記事があった。 記事にしているものにも当然著作権なるものがあろうが、報道を記事にしている場合主張を広めようとしていると認識して、私は結構コピペしてしまいますが、駄目なら言ってください・・・。 以下内容です。 利権団体から橋下氏は全て嫌われていた。例えば、選挙当日、27日の朝刊をお持ちの人は見てもらえば良いのだが、朝日、読売、毎日といった各紙は、カラーページで平松氏サイドの写真を大きく紹介していた。明らかにマスコミ関係者のほとんどは平松氏の応援に勢力を傾けていた。 政党でもそうだった。自民、民主、共産といった代表的な党は、政策も理念も関係なしに平松氏の応援をしていた。医師会、労働団体、教育委員会、大阪市職員なども全て橋下氏の敵だった。 もちろん、テレビもそうだった。例えば、27日のフジテレビの「Mr.サンデー」という報道番組中で、橋下氏を「独裁者」というテロップで紹介していた。番組でも詐欺師、ペテン師などと橋下氏を批判するのが目立った。公平中立が求められるテレビでも、平松氏の応援の声が多数を占めていた。 その裏にいる利権団体が絡んでいると推測されるわけだが、こうした既存のあらゆる勢力から敵視された橋下氏が、風俗やギャンブルなどといった経済政策で、人気を得ようとしているというのは考えにくいだろう。 その経済政策も何も論点になってなく、例え暴力団員の息子であっても、橋下氏は弁護士であり、弱い者を助ける仕事をしてきた。多くの大阪の市民はそれをわかっているからこそ、マスコミ、政党が全精力を傾けてたたきつぶしに来た選挙で、橋下氏率いる維新の会が圧勝したのだ。 平松氏が橋下氏の「独裁」批判に徹するあまり、自分がやりたいことを訴えることができなくて、自滅したという見方もある。選挙で圧倒的な多数の票で選ばれたのだから「独裁」ではなく、「独断」する姿勢が評価されたいうことを理解していないようだ。 今回、大阪の市長を決める選挙の投票率は60%という高い数値を記録した。その選挙で、維新が圧勝したというのは「多くの民意」を得たということになる。 私は橋下と言う人を良く知らないけれど、腐りきった自民党に愛想をつかし民主に投票したら少しは良くなるかも、なんて淡い期待で大失敗。その後は地震があったり原発処理が進まなかったりで解散総選挙もままならず

プラナリアという生き物

最近えびさんについてふれていませんでしたが、現状維持でなんとかやってます。よく考えてみると最後は抱卵固体を4匹投入してそれぞれ2回は卵を持っていたのだから、20匹生まれても160匹はいるはずなんですが、実際には30~50匹にしか見えません、しかもそれなりの大きさになっています。 稚えびはよくみると3匹はいましたがこんなに減ったのは何でだろう?ネットで調べてもみましたがあまり当てはまるものがない。えさかな?昆泳はさせてないし。ミジンコっぽいのは、いるようだ。硝酸塩だかの値が高すぎ?pH測定してもそう高くは無い。うにうにしたのは前からいるし。プラナリアはアクアショップの店員は見つけたら取るしかないと言っていたが。 この、プラナリアの駆除の方をやっておこうかと思い調べても見たら、プラナリアって老えびや稚えびをたべるらしい・・・・・。これが原因だったか。・・・・おそるべしプラナリア。 あまりこの事に言及しているサイトが無かったので気にしていなかったけれど、あれだけ抱卵していたのに増えない原因がやっとわかりました。ここからプラナリア駆除を調べるわけですが、やはりリセットしかないらしい。めんどくさいんですよね、ウイローモスでもあもあなのは何とかしないといけないとは思っていましたが、ソイルやいろいろなオブジェを洗ったりするのは・・・。よく消毒しないと残っていそうだし、何かいい方法は無いかと調べていたら「プラナリアzero」というのがありました。 まだ入れたばかりなのでなんともいえませんが、水槽内が白濁して失敗したかと思いましたが、水槽内の生態はまだみんな元気です、今後のようすはまたの機会に。

TTPってなんだろう

環太平洋戦略的経済連携協定というものらしい 経済連携ってどこの国かと思ったら、参加加盟国のGDP比率ではアメリカ70%、日本22%、あとはオーストラリアが4%とその他4%っていう感じだった。 日米でしかないということを、基本に置いて考えないといけないですね。 関税がなくなり貿易が自由化になるとどうなるのか簡単に考えると 〇円高である間は輸出が増えるわけが無い 〇工業製品(TVや車)はすでに2.5%なのでなくなっても日本は有益でない、また既に海外生産なのでTTPの参加によるメリットはほとんどなさそう 〇農産物は安く買える。国内で農業従事者がますます減る。低い基準の農産物が入ってくる。アメリカの輸出用の狂牛病対策の作業基準を知ってる人はこの恐怖がわかると思いますが、遺伝子組み換え表記などもほとんど撤廃の方向なんではないでしょうか。 普通に考えて、農業主体の東北地方の状態から、今TTP参加ってどう考えたら賛成できるんだろうか。どうやって復興しろと言うのでしょうか。 TTP参加は農協の保護が終わるだけみたいなことを言っていたりする風潮があるけれど、中国までひどいことにはならないにしても、食べ物の規制は基準を下げるとびっくりするものが入って来ますね。国内消費と輸出品はアメリカも分けている。遠くに運ぶものが同じ品質のはずはないし、おいしくないとかいうレベルなら気にしなくてもいいですが、安全面からはとても安心できるものではないですね。 アメリカ人が普通に食べてるものが輸入されるわけではないです、というのも知っておく必要はあります。

肉まん

ちょっと前まで半そでだったのに、なんとなく肌寒くなってきたのでお昼にコンビニで買うのが肉まんとかブリトーとか暖めて食べるものになってきました。 子供の頃に学校で誰かにごちそうになった、何で、どういう理由で学校で夕方に食べる事になったのかは全く覚えていないんですが、もらって食べたのが、すごくうれしいような有りがたかったので良く覚えています。 たぶんうちは貧乏だった気がします。いや、正確に言うと父親がギャンブルで使っちゃっただけなんだと思います。食事以外に何かを食べる事が少なかった。そのわりには酒屋からケースで買ってたキリンレモンとか飲み放題ではありましたが。 躾が厳しかったのかもしれません。いま、自分がそれをする側になって何をどう教えたらよいのか見当が付きません。子供の頃は、ただただ遊んだ記憶しかないのですが兄弟も多く、ほって置かれたのだと思います。 で、息子ですが以前から人前でも鼻をほじっていますが、良く見ていたらその指を口に・・・。 汚すぎだ。しょっぱいらしいが。くしゃみをした時の鼻水も舐めてた。 先ほどの自分のとーい記憶の中でも、鼻くそを食べてる子がいた気がするけど、成りからしていかにもなので特に気にもしていませんでしたが、自分の子供がするとなると結構こまった事になります。いくら言っても少しすると忘れてしまうのかまた指を口に入れていて、なんだかなー。 とか思っていたら、数年前に職場の上司でも、とーくで見てたらほじった指を口に入れてる現場見た事があったのでした。もう退社されましたが、あの場面を見てから全人格的に否定せざるを得なくなったのは言うまでもありません。食べるのは勝手だけど、その手で帳票やら色々なところ触ったりしてるのがたまらなく許せませんでした。 私はそれほどきれい好きではないのです、っていうのは家をみればすぐにわかって・・・あうあう。

放射性物質

あまり詳しくなかったし横浜にいるので気にしていませんでしたが、ストロンチウムが検出され、もうどうなってしまうのか心配です。 千葉県柏市でもセシウムが検出されたとなると本当にもう日本は結構危ないのかなという気がします。これはいったい誰のせいなんでしょうか。物事には因果関係があり、大体の場合結果があれば原因になるものもあります。簡単にはわからないかもしれませんが、同じことを繰り返さないためにも何が悪かったのかを知る必要はあるでしょうし解決策は考えないといけません。 総理大臣であった人の判断が悪かった言っているだけでは、変化は生まれないかもしれません。どこが駄目でどうすればよかったのか?どこが駄目って全部駄目だったといわれていますが、全部であったにしろ具体的にそれぞれ対応策を考えておかなければ、結局は誰がやっても同じことになってしかいかねません。 なんかギリシャのほうも怪しくなってきているので、本当に平和の無い世の中になってしまったと憂いてしまいます。

熱帯魚

小学生のころ家で飼っていた記憶があります。 家族(たぶん兄)が温度を合わせるのに苦労しているのを覚えています。私といえばその頃は「なんか色が派手」くらいにしか思っていませんでしたし魚に海水淡水すらわかっていませんでした、川魚は生臭いってのは知っていました。川と海というより汽水っていうのを知らなかったのだと思います。風呂で長湯をすると手がふやけるのが浸透圧と知ったのは小学生3年だったと思います。 最近はえびにしか興味はありませんが、ネオンテトラとグッピーを飼っているので世話もします。むかしから時々飼っていたのにもかかわらず、寝方が魚によって違うのを発見しました。ネオンテトラは浮遊しながら、グッピーは何かに乗っかるか地べたにくっついて寝ています。 全部がそうなのかはよく観察できていないのですが、同じくらいの大きさの魚が全然違うもんだなと不思議に思えました。ソイルの上にいるとお亡くなりになったのかと思ってしまいます。 飼ったことがある中で一番可愛いと思った生き物は「サル」です。病気なんかもあるのでしょうが、台湾ザルだったか鳥かごに入っていました。手を登って肩に座るのはいいんですが、たんすの上なんかに行っちゃうと、うんちしてたりして後で見つけてびっくりします。

うつ病

うつ病って今でもよくわかりませんが、罹った人も家族も結構大変なようです。 私には根性無しにしか映らないんですが、そうでもないようです。躁鬱病というのは子供のころから聞いていましたが、私の勝手な解釈で「周りに関係なくはしゃいだり落ち込んだり情緒不安定な状態」だと思っていました。これはある意味周りが理解していない本人の感情変化何じゃないかなと思います。自分もそれなら理解されてはいなかった。というかその程度で躁鬱病になってたら世の中みんな病人になってしまう。 うつ病といっても広いのでしょうが、視線が気になったり、悪口が聞こえたりって言うのは何か自意識過剰なのだと思います。そんなに人のこと気にする人いないって。そんなに暇じゃない。なんて思ってましたが、自称うつ病の方も数人ですが友達の中にいて、うつになっている人が、他人に対して批判的だったりします。言い方はやわらかいのですが「なんでそんなこと気にするの」ってうくらい他人の言動に対して批判的です。そりゃ自分も言われてるって感じるのも無理は無いかと思いました。 人の振り見てわが振り直そうとしているのでしょう。たぶん潔癖症。歯磨きの時間が以上に長い気がします。 病名をつけると病気になっちゃうんじゃないでしょうか?「病は気から」ですから。

武田教授って、本当に科学者なのか?

こんなタイトルのブログがありました。 武田教授が仮に何か間違ってしまった事を言ったところで、それをすぐに叩き始めるのはいかがなものかと思いますが。 このブロガーさんが何かの件で論破されちゃったりしていれば、批判的になるのは分かるのですがまるで国語の先生のブログに誤字脱字があっちゃいけないみたいなのは勘弁してください。だれも情報発信してくれなくなっちゃいますよ。 大体の場合、全部が全部正しいと思って読んでいる人は少ないと思います。また、何か誘導しようとする情報も多いでしょう。ただ武田先生の場合は、彼でなければ言えない事をおっしゃっている。知りえない視点と情報を提示してくれている。くだらない番組と偏向内容のTVばかりを見てきた平均的な日本人としては視点や論点を増やしてもらえるのは、すごくいい事だと思っています。 大衆心理は創作されてしまうこともあるでしょうが、今の日本は何も疑わない、誰かに任せ切り。大丈夫だろうと安心していたら検事はどこかの怪しい信者だったり国会を動かしているのが日本国民でなかったり、原発の知識の無い人が原発の「何か」を決めたり。不安にならないほうがおかしいのですが、かといって自分に何ができるのかという事に変わりはないのですが。 だから、よほど問題のある発言でもしないかぎり批判しないで欲しいなと思うのでした。

暴言

結構な発熱をするという噂が広がっていたので躊躇していた「日本脳炎の予防接種」ですが二人とも受けさせました。注射は嫌いなので、病院にはいる瞬間まで「注射しない?いたいのしない?」の問い詰めに「痛くない痛くない」ととりあえず言っておき、また、予防接種の前に軽く薬をもらうだけで病院に来るというカモフラージュもして注射器をほとんど見せずに、ちくっとすぐに終わらせました。 弟の方はちょっと涙ぐんでいましたが「お兄ちゃんだから泣かない」と言ってすぐに泣き止んでいました。いや君は弟なんだが・・・そっちじゃなくて、赤ちゃんじゃなくなったっていう感じで言っているのかな。 お兄ちゃんの方は終わったあとも、うるさいうるさい。「噛む噛む」とかいってやたらと私に当り散らしていました。 で、薬が処方されるのを外のベンチで待っていたのですが、いまどき灰皿があっても、もう吸う人なんていないんじゃないかなと思っていたら、スキンヘッドのおじさんが吸いに来ました。子供もいるので早く行ってくれないかなと思ったら、そう言うオーラを私が放っていたせいか、おじさん早めに退散の体勢になってます。 平和になったと思ったら、横でおとなしく座っていた弟の方が「ナマハゲ?」ナントイウコトヲ!しかも語尾が上がって質問形なのです。 あわあわしていましたがスキンヘッドおじさんそのまま振り返る事も無く去っていきまた平和な時間がきました。 いつものことですが、予防接種などの後は回転寿司に行ったのは言うまでも有りません。

運動会

今年も運動会の日がやってきました。 自分がこどものころは走るのだけは結構早かったので待ちどおしいものでしたが、子供はいまいちのろそうなのと、幼稚園のママさんがちょっと苦手だったりするのであまり楽しみではありませんでしたが、お遊戯みたいのもあるので、写真ぐらいは撮っておこうかなと。 年少の時には個人で競う感じのものはなかったのですが、年中になると障害物競走のようなものがあって、個人種目で順位がありました。一等は望んでいませんでしたが、ひとりは最下位、もうひとりは後ろから2番と言う結果。 最下位なのは弟の方なんですが、トンネル状の所をくぐる時に「どうぞ」のような仕草が見えたので他の子を先に通してあげていたのは間違いないです。走る事自体は普段から早くないけど「最下位ではないだろう」くらいだったので、実際ビリなのは悲しいものが有りますが、どちらか言うと競争というものがなんであるかわかっていない、ルールが分かっていないことの方がちょっとまずいかなと思いました。 まあ いいんですが。 そういえばお父さんたちが参加するリレーがあって、年長さんのときがころんだお父さんがいて暫く意識が無く、救急車で運ばれるというアクシデントがありました。 「いい大人が・・」など良く言ってないおじいさんもいましたが、あれは一番になるのが目的でいいところを見せようとしてるんじゃないと思いました。がんばるところを見せたかったんじゃないかなと。 大体順位が悪かったりをなげくようなおとうさんはいなかったし、2つぐらい種目が終わってから無事にお子さんと帰ってきた事のアナウンスがあったときには大きな拍手があってよかった。 子供の行事に参加すると何時も思うのですが、日本のどこにオレオレ詐欺や悪い事をする人たちがいるのだろうかと思ってしまいます。私の周りでそんな感じの人ぜんぜんいないんですけど、それはもしかすると、すごく幸せな事な\のかも知れませんが。

免許の更新

なかなかゴールドカードにならないので、講習も2時間受けることになって悲しいものがあります。 免許センターに行くとなぜみんなガラの悪い人に見えるのでしょうか。笑顔の人がいないからなのか?ほかに、テーマパークとか遊びや買い物じゃなくて、人が集まるところというと安全衛生管理者だったかの講習にも行きますがそこではこれほどガラが悪い感じはしないのです。 ずいぶん前に免許が停止になったときには、さすがに犯罪者な感じがしていましたし、窓口で言われている罰金額も半端じゃなかったのでしかたないんですが、割りと普通に講習受けてるのになんだかなー。 免停になったときの違反は、友達の車を返しにいく時のことで、家を出てたった二個目の信号でのスピード違反でした。ターボ車に初めて乗ったので、「なんだろうこの爽快感は」と普段よりスピードが出してしまって。いや、免停になるほど出ていたとは。(実際はそれ以上に出ているものらしい) で、免許センターで更新の書類に印紙を張ったりしながら進んでいくわけですが、私の前のおじさんなにやらごねてます。長髪だから思ったより若いのかも。住所変更してなかったので免許の更新ができないようでした。窓口の女性は結構丁寧に「住所がわかる郵便物とかもってますか?」と聞いているのに自分が出す郵便見せたりするような、ちょっとな感じのひとなんですが、「この状態では更新できませんね」といわれて「困るんだけど」なんていってました。オイオイ 「困ってるのはあなたの後ろの私なんですけど」と本当に言ってやろうかと思いましたが、私の書類の処理は近くにいた係りの男の人がやってくれました。男であんなおばさんみたいなこと言う人がいるんだなぁとびっくりしました。だいたい百貨店とかホテルとかのサービスでも受けてると思っているんでしょうかね。こんないろいろ不備な人が公道を走るかと思うと怖いものがあります。 点検とかしないで車のせいにしたりするんだろうなと。寝不足だったとかよくわからない言い訳。 「困る」ってあんまり自分は使わない気がします。言われた相手も困るでしょうから。あー使うとしたらへんなところに駐車されて迷惑な時に使うかな。いい大人の男の人が申請窓口でごねてるのってすごいかっこ悪いし邪魔、大迷惑だ!と思ったりしました。 「困る」ではないですが、「ずるい」も似ていて、自分

K-POP

K-POPって韓国の何かかと思っていましたが、単に韓国人が歌っている音楽だったのでしょうか。 差別と言われたり、馬鹿にしていると言われても困ってしまうのですが、韓国と中国と朝鮮が区別つきません。どう区別できないかと言うと、日本の中でも四国には何県があるのか知らないし、東北も今回の震災があって地名が少しわかるようになりましたが、自分の生活圏以外のことに本当に興味が無い。 とは言っても四国には仲の良い友達がいて、結構行ったりしているのですが。 典型的な日本人かもしれません。都道府県を知らないところじゃなくて、ちょっと離れたら興味がなくなってしまう。 無責任なのかも知れませんし、ただ小学校の社会科をちゃんと聞いていなかった結果かもしれません。 もちろん英語は話せません。いばっていません。正直情けないです。 でも、以前オーストラリアのどっか(ケアンズだったか)に行ったときに、ホテル(といってもたぶん コンドミディアムだったと)のサウナに現地人と2人きりになったときに、思い切って話しかけてみました。 この思い切ってと言うのは、実は海外旅行などに行って外人さんと話す場合も、根性が無いのでジャグジーなどで遊んでいる子供(幼児とか)にしか話しかけられないのでした。ニンテンドーとかポキモンとかは大体知っていてもうちょっと大きくなると、「お姉ちゃんが修学旅行で行った」くらいなことまで会話します。が、その程度。 そんな私がサウナにいたオーストラリア人(?)の大人と話してみたことがありました。ほかに人がいなかったこともありますが、とても英語とはいえない言葉で一生懸命はなしたら、別れ際になにやら褒められました。 私が英語を話せないのもありますが、あちらも結構訛りがあるようで、わかりにくいところもありました。要約すると「私はあなたの国の言葉、日本語をまったく話せないけれど、あなたは私のわかる言葉で話そうと一生懸命になってくれた。私の国の人たちが日本人を好きなのはそういう所かもしれない」と言った内容でした。いや、真逆の内容で自分勝手な大きな勘違いだったかもしれませんが、帰る時に、またちょっと話すことがあって、なぜか住所を交換(メールアドレスじゃない時代なのだ)して数回文通なんかしました。だからきっと嫌われてはいなかったと思う。変わった人だとは思ったと思うけど。

ウルトラマン

ウルトラマンフェスティバルというのに行ってきました。子供より私の方が盛り上がっていました。懐かしがっていた気がします。最近のウルトラマンは聞かれてもなんだか分からない。怪獣の名前も良く知らないのですが、なぜか怪獣の名前は「〇〇ゴン」「〇〇ラ」とか言うのが多いように思いました。 ゴンはゴーゴンでしょうか?スキュラ、ヒドラなんていうのもギリシャ神話からのような気がします。ゴジラ、モスラ、ガメラ、・・・ウルトラマンじゃなくなっちゃいましたが怪獣の名前ってなんか似てたりします。 他の怪獣ものは良く知らないんですが、ウルトラマンのお話では「ジャミラ、シーボーズ、ウー」が記憶に残っています。というか最近DVDを子供と一緒にみただけです、おぼえていません、すいません。 悲しい話です。悪さをする怪獣もいるのですが、基本的に宇宙人とか人間じゃないものと言う点ではウルトラマンも同じです。なにかスーパーマンのように手放しで人類の見方のヒーローって言うわけじゃなくて、地球にさえ来なければ戦わなくて済んだのに、という地球外生物としてのウルトラマンの葛藤が時々話の中に出てきます。それは子供番組と大人が考えているより、ずっと奥が深いのかもしれません。 子供の頃に宇宙自体にに興味がありました。ずっとまっすぐ行くとどこへ行くんだろうか?とか。昔は地球も端っこがあって海をまっすぐ行くと落っこちちゃうみたいに考えられていたと言う話を聞いた気がします。中学生くらいになると逆に細胞のような小さい世界に自分たちと同じような生活をしている世界があったりしないのかな?とか。これって怪獣に対する疑問と同じで「なんでみんな40mくらいなのか?」というもの。既知の生物でも猿とクジラほど大きさが違うのが普通なのに怪獣がみんな同じくらいの大きさな事に、ひどく違和感を持っていた、ひねくれた子供なのでした。 で、小さい世界、大きい世界ですがこの地球がすごい大きな人(に限らず大きな生物)の手のひらでいつか握りつぶされちゃわないか、とか握るのにすごい時間掛かるとか、たぶん時間の流れる尺度は人間と違うのではないかとか、色々考えていました。 大人になってから綴じているとかクライムの壷(だったっか?)みたいな概念的な事を知りますが、こどものころは単に空想し、とーい世界に(ちかいのかも)想いを馳せていたなぁなんてな

潰瘍性大腸炎

潰瘍性大腸炎と言うのになってしまいました。 はじめは血便と言うのでしょうか、大便に血が混ざっています。 内臓の出血の場合、どす黒いというのか、少なくても鮮血っていう感じじゃないらしいです。 お医者さんに聞くとだいたい「痔」であるように言われます。 本人にしたら、大腸がんとかが心配なので、少しは見てくれないのかなと思っていたら、あまりに出血がひどくなったので、大学病院で胃カメラと直腸カテーテルの検査をしてもらうことにしました。 初診で血便といっただけで、いきなり点滴でした。血便というのも下血という状態と患者さんの表現だけでは区別がつかないようですでに貧血を起こしている場合もあるようなので、採血で針を刺したついでに点滴もしてしまうそうです。 胃の検査は兎も角、腸は2回目ですが、あのなんとも言えないスポーツ飲料みたいなのを2ℓも飲むのは苦痛です。しかもいきなりでるので、ほとんどトイレに篭るとになります。そして今回は血便です。便が無いのだから、下血になっています。正直実際見るとかなりショックです。さながらフィルムの吐血や刺殺現場のような鮮血が・・・。 そんなこんなで、痔ではなかったのですが「潰瘍性大腸炎って何?」ということになります。 病名を宣告されてから、原因がわからない、完治の難しい難病。これって川崎病とかに似てる? 親子で難病?なんかなー。と思っていました。 ゲンインガワカラナイ・・・・ちょっと思い当たることがありました。少し前にコレステロール値が高かったので薬を処方されていたことがあったのですが、その薬の副作用で尿が茶色くなると言うのがありました。別に色は変わっていなかったのだけれど、服用を始めて数ヵ月後に私の携帯にそのクスリを処方した医院の院長から直接電話があって「血液検査の結果が良くないので、すぐに服用を中止してください」と言われました。 院長から直接、しかも定期健診時でなく携帯にかかってきたんじゃよっぽどの数値だったのだと思うのですが、その時に飲んでいたのが「クレストール」と言う薬です。 最近になって潰瘍性大腸炎をネットで調べまくっていて見つけました。クレストールの副作用に潰瘍性大腸炎があるのでした。原因ぜんぜん不明じゃないし。 ペンタザっていう薬をもらうんですが、朝晩大き目の薬を4錠ずつ、3か月分かうので2万は行

えびさんのずーとその後

暫くえびさんについて書いていませんでした。(書いてるとは言わないですか?) 水あわせをしてから水槽に入れても、2週間くらいで死んでしまうので、抱卵を見たくて抱卵しているのを買ってしまいました。水替えはしないほうが良いように説明してるWEBもありますが、1/5だけ換えろとかもあります。実際は替える必要は無いです。 抱卵したら水は替えないほうがいい。これは抱卵させることを考えるとわかる気がします。 実は抱卵しているものが稚えびを生んですぐにまた抱卵しました。抱卵しても脱皮してしまうと孵らないので水替えはなるべくしないようにと書かれていました。抱卵前に交接するには、脱皮後のやわらかい状態でないとうまくいかないようです。 逆に脱皮させるのは、頻繁に水換えで刺激を与えればいいように思います。脱皮しますが寿命が短くなっているようにも思えます。寿命と言うと産卵の時間も計算式があるようで、620÷水温だったと思います。30℃なら620÷30で26.6日くらいということになります。 ある意味産卵期間が温度で左右されるのなら、寿命も温度で変わってくるのだと思います。自然にいるミナミヌマエビは飼われているもの2倍くらい生きるようです。自然のほうが水温が低いからではと勝手に思っています。 3回くらい抱卵し稚えびが結構いるようになって、また昨日抱卵しているのを見つけましたが今朝お亡くなりになっていました。残念でした。なんだか私は観賞魚からえびの養殖係りになってしまったようです。 ミナミヌマエビは6~8月に産卵するのだと思いますが、産卵したらほぼ1年たったということで寿命なのかもしれません。

税金の使い方

中国人の話題のついでに、なぜ中国人は日本人の事が嫌いだとか頭が悪いとか言っているのに、日本に来たがるのか?考えてもすぐには答えが出ませんでした。実際に中国人と話してやっとわかったことがあります。冗談のようですが、本当にお金儲けをしに来ています。そのために日本人と結婚もします。 日本人が嫌いであるなら自国をもっと発展させるべきである、というとほんどの中国人は黙るしかない気がします。未だに中国という国の表現は、決して自由ではないようです。日本で働こうというのは、働きやすい、住みやすい環境を日本は、日本人はインフラを整理しながら自治活動も盛んに作り上げてきたのだということを、自治会やいくつかの組合に参加しながら知ることになりました。 いくら年だけ大人になったとしても、詭弁な頭でっかちで、誰もついていかないような人がいくらネット上で熱弁をふるっても教えてもらえなかった、わからなかったことがやっとわかってきたように思えます。そして今の政治です。 いや、わかったというのは、実はこんなにも「頭の中でだけ」というのが実際には人を動かせず、役に立たないことかっていうことなんですけどね。 ディベートが嫌いな人は「ふーん」としか聞いていないし、ほとんどの人がそんな会話を望んでないですね。で、ある意味それは隔離された島国なら平和でよかったんですが、宗教でも政治でも、大きいところから日本人の興味の無いところから侵食してきているように思えます。 税金は払うときには気にするけど、使い道はどうせ自分の意見は反映されないとしか思わず何ら考えないようになったのは、団塊の世代の責任とも思えなくは無いですが、それ以降の大多数は国の決めることに興味が無さすぎな気がします。自分もですが。 ずいぶん前に書いた卒論みたいなものの中で、「日本には会社はあっても社会は無い」と書いたことを思い出しました。今のことを考えてそう思ったわけではないんですが、当時から利潤の追求だけで文化とかないがしろになっているような懸念は持っていたのだと、自分を感心する反面、結局何にもしてないなと、情けなくも思うのでした。

日本人と中国人

昔カメラでバカチョンっていう言い方をするのがあった。チョンがバカだと言うわけではないのですが多分「馬鹿でもチョンでもできるくらい簡単」と言う意味で使っていた気がします。でもその「チョン」って言うのが何の事なのか知りませんでした。調べてみると、つまらない人・取るに足らない人のことを指すようです。拍子木の音になぞらえた蔑称であり、日本語として古くから使われているとなっていました。語源的には朝鮮人を蔑む意味は特にないそうです。で、「チョン」自体は朝鮮人を蔑む言葉?朝鮮人ってどこの人?どんどん疑問が増えてきました。

ね っていう語

話している言葉の最後に 「ね」を付けた言葉を時々聞きます。 〇〇ちゃんがね、わたしのことね、色黒だって言うの。嫌な子よね。 私が気になるのは最後の「ね」。 大人になっても「〇〇だよねー」って使ってる人結構いる気がする。これってなにかずいぶん前に聞いたんだけど、強制を促す幼児言葉だったと思う。大人の男は「ねー」は使わない。子供大人か女男(?)くらい。 小さい子が使うとなんとも感じないけど、おばさんが使っている場合、主語もなく何が「ねー」と同意して欲しいのか分からない。しかも「ねー」の応酬さえある。それに「本当よねー」とか多少の副詞や形容詞を付けただけで、ねーねーでしばらく続く事さえある。会話になっているとは到底思えないのだが。 でも、女性の会話には中身の無い事が多く、いや、相手に考えを求めておらず、既に心が決まっており、大半は同意して欲しいのだという。全ての女がそうでないのはわかりきっているが、概してそうなのだそうだ。封建的な社会が長かったからなのかもしれない。それは保守的な生き物として当たり前の言動なのかもしれませんが。 保守的というと、何かリベラル派と復古派くらい革新性の内容が有るときに出てくる言葉に思えますが、先の封建的な時代があったからゆえに、女性は社会進出が遅れ自分で判断する事を恐れ避けてきました。そうしたことから味覚的にも冒険をせず、生まれて一番初めに認識できる甘味が好きなようです。 女子供と一括りにする考えもアレですが、実際お酒やタバコを男のように飲んだり吸ったりしている人は男みたいでもありますが。って偏見ですね。 おかまやゲイが市民権を得たとは聞いていませんが、日本ではTV局が女装趣味を否定していませんので、そういう文化の国だということですね。 こんなんでいいのかニッポン!

ちょっと違う気がする

日経マネーdigitalっていうサイトですが http://money.jp.msn.com/banking/columns/columnarticle.aspx?ac=2011052600&cc=05&nt=05 対象は20代・30代の男女で、「恋人なし」「交際経験なし」を合わせた未婚者の割合が63.7%。男性の正規雇用の場合54.7%が「既婚」か「恋人あり」であるのに対し非正規雇用では20.0%、また男性既婚率は年収300万円以上が25~40%(高年収ほど高割合)であるのに対し、300万円未満だと8~9%程度と雇用形態や収入の多寡が結婚や交際に、大きな影響を与えています。 なんかおかしいですね。 前半を具体的な数字で見てみましょう。 恋人がいる人20人と恋人がいないひと(昨日までいたけど今いない人5人と今までいない人5人)10人の30人がいたとします。交際経験なしは5人です。恋人なしは10人です。で、合計したら15人になってしまいますが、恋人なしに含まれている、今までなしも合計しちゃったらおかしいですね。その部分が二重に足されてしまっています。 後半は、当たり前ですが、昔からお金持ちのぼんぼんがスポーツカーで女の子をはべらして(?)キャーキャーいわれているのを見てもわかる様に、お金持ちがもてるのは当たり前です。また、これは因果関係、原因と結果が逆になっているような気がします。資産家の子でなくても微妙に根性がなく低所得で甘んじている人に魅力を感じるでしょうか?誰でも交際ができたり結婚できるとか思っているんでしょうか。普通以上の努力と積極性をもって望まなければ結婚はおろかお茶のみ友達さえ作れません。適当な相手を見つけて、健康であれば子供は作れるでしょうが(難しい場合もあるので一概には言えませんが)育てられない親はたくさんいます。本人が子供だからです。我慢ができない。根気がないから続かない。親がそこそこ裕福だと親が生きている間は少子化社会の今では何とかなってしまいますからね。昔はそういう者を「たわけもの」と言ったようです。相続すべきで責任もある長男以外のものが、他で成功を得られず、田をわけてもらわなければならない親不孝ものを「田分け者」と言って蔑視されていたのですが、それは兄弟が多い時代だけですね。今は就職にも親がついていくとか。なんて子供

食文化

日本の食文化。それなりに歴史がありますからどの変の時代のことなのかで変わってしまいますが、実際にわかっているのは、せいぜい江戸時代くらいでしょうか。 江戸時代と言っても全体の話じゃなくて庶民に限定されます。白米なのか飯と、汁物、漬物(香物?)と言った質素なものが普通の食事だと聴いたことがあります。で、寿司みたいなものも食べられていたはずだと思っていたら、寿司の類は今で言うところのケーキに当たり、どちらかというと「祝い物」儀式のときだけ食べるものだったようです。 文化っていうことばは文明と同じように使ってしまいますが、必ずしも進歩しているだけを指してはいません。変わっていくということで言えば、言葉が一番変わっていそうです。

アニメって

ヲタクのことを書いてすぐに何ですが、好きなアニメや声優はあります(います) 好きな回というのでしょうか とらドラ 16話 踏み出す一歩 天使な小生意気 名誉も権力も吹っ飛べ! これが愛の力だ! なんかはもし見ることができるなら面白いと思います。 この回だけ見てもわからないと思うけど。 このころは「ゴリラーマン」とかコミックをよく読んでました。 なんか電車の中で平気で大人が漫画の本読んでるのは日本だけだって聞いたことがあったので恥ずかしくて家でしか読みませんでしたが。 もともとはいわゆるヲタクっぽい「アニメージュ」っていう雑誌?の「風の谷のナウシカ」を呼んでからいろいろ見るようになったのかもしれません。アニメ化映画化されたものは、明らかに子供対象な内容になっていた気がしますので、7巻のコミックを見られたほうが、世界観がわかるかもしれません。 宮崎駿氏は未来少年コナンの絵に似ている気がしていましたが、内容がエコロジーであったり文明や争いによって失うことを表現しているように思っていました、そういう主張の人だと。でも、どちらかというと生態学としてのエコロジーな部分は表面的なだけで、後の「もののけ姫」のキャッチになっている「いきろ」という生に対する力強さみたいなものを表現したかったのかもしれません。 とはいえ宮崎氏の主人公は10台半ばの女の子ばかりですが、そこもアニヲタの人気を得られた要因の一つだと、後から思えば言えなくも無いですが、ただ単に宮崎氏もその世代の女の子の不思議な価値観や力に憧れていたのかもしれません。 この種の感覚は小椋佳の「白い一日」に似ているのかもしれません。この辺をイメージしていただけると共感できます。 ナウシカという名前が非常に不思議に思えていたんですが、なぜかと言うと、ほかに出てくる人物の名前が「ジル」「ミト」「カイ・クイ」「ユパ」など二文字がほとんどだったから、元があるのだろうと思ったらコミックの説明に書いてありました。ギリシャ神話のオデッセウスが立ち寄る(漂流した)スケリア島の王女の名前でした。 エコロジーをも含有した生きることへの力強さは、いろいろな人に何かしら考えることを提起したように思いますが、いろいろな意味で(ヲタク的なだけではなく)深いものがある作品に思えます。

アニヲタって

おたく って言う言葉がまるでコアなマニアやコレクターの様に、肯定的に使われ始めて久しいですが、アニメファンのことをオタクとは言いません。 オタクの語源は良く知りませんが、使われはじめたのは宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999くらいの頃だったと思います。「お宅はわかってない」「お宅はまだファンとはいえない」など相手を「あなた」や「おまえ」といわず「お宅」と呼ぶ人種をオタクと定義したのは正確な発祥です。 その後カメラ小僧とかアイドルの過度な追いかけなども含め、複合的にヲタクになっていきました。 ヲタクは決してコアなファンをさす言葉ではなく蔑視した表現であることを、湾曲した解釈をしないようにしましょう。でも日本語は使い方があいまいな人種によってどんどん変わってしまっているからもう違った意味になっているのかもしれません。 オタクがお宅か否かを知るのは簡単でお宅と呼ばれて否定するものがお宅であるといわれています。 とはいっても大して知識もなく無駄に一日アニメDVDを見ているのは堕落したニートであってオタクではありません。 お宅は価値があろうが無かろうか関係なく自分の興味の対象にアクティブです、研究熱心です。知識勝負ですから書籍も持ってます。負けず嫌いです。そうでないとしたらヲタクではなく、ただのファンです。 悲しいことにキャブレター車を知らない世代は基本的に車を外見しかいじらず、ステアリングを替えたりします。バキューム進角やタイミングライトと言っても何のことかわからず話す私を車オタクといいます。DVDのオーサリングの話をするとコピーオタク(コピーじゃ無いのに)PCを自作し焼けたコンデンサーを替えれば半田オタクと言われました。 今の20才台は一体何ができてどうしたいのかわかりませんが、恐らく日本は技術で他諸国に秀でているとかいまだに思っているのかもしれませんが、もう自慢する国内企業は無いと思ったほうがいいのかもしれません。 ソニーは日本の会社ではないかもしれません、トヨタはGMにぬかされています、 若い人たちの中から教員ではなく研究者が生まれてこなければ、日本は本当の意味でも中国韓国に抜かされてしまうと思います。日本人の多くは一ヶ国語しか話せません。 勤勉で根性乗った研究者気質の日本人がつくった文化の上にあるだけで、日本人を語る生涯子供が多くなっ

マネジメント

始めてこの言葉を使った時は「マネージメント」と言っていた気がします。だから和訳的には「マネーアレンジメント」だと思っていました。経営的には経費計画みたいなものを管理するからマネージメントであると。 後にERP(エンタープライズリソースプランニング)と言う言葉を知ってからはERPが私の考えていたリソースプラン=お金の使い方に近いであろう事を認識しました。 ドラッカーはAKB関連のプロデュースもする方の著書の「もしドラ」から、かなりの人が名前は知っているものとなりましたが、私としては「もしドラ」のネーミングがどう考えても「とらドラ」から来ているように思えてなりません。 専攻が経営工学であったのでドラッカーは良く見る名前でしたが、今回の「もしドラ」がブームになったことで、いろいろな事を知りました。 実はドラッカーの父親とイノベーション原理のシュンペーター(工学部的にはこちらのほうに感銘を受けていた)が知人であったとか、・・・一番は当時はまだ生きている人だったことが驚きでした。 私の中ではエジソン級、とまでは行かなくてもマルクスやレーニンの仲間にしちゃってましたから。 このドラッカーの「マネジメント」について熟知しているわけではないですが、「もしドラ」で起こっているように、およそ人間の行動や集団には適用できる考え方であるとは思います。 これほど体系的な整理された考え方ではないにせよ、人生の中で小集団を作り、それが会社組織に似ている感覚は管理業務に近いことをされた方は気が付かれている事と思います。 管理業務って会社の管理職じゃなくて、何かの実質的なリーダーっていう意味です。 学生時代にバンドを組んでいました。ブラスバンドのように大人数ではなくいわゆるコンボです。各パートにはそれぞれ「リズム」「メロディ」「ハーモニー」の役割が複合的にあって(分かれているわけではない)担当しています。 バンド(という小集団)の目的は別にバーベキューサークルでも良いのですが、目的を持って集まってきます。いまどきは「出会い」なのかもしれません。いわゆる下心ですが開き直って「出会いのために集まってる」と言い切ってしまっては、既にそれは下心ではなく目的になっています。不純なのか程度が低いのかは別として目的ではあります。 話がそれまくりですが。そのバンドも参加の目

水槽の中

昨日はえびさんの繁殖用に繁殖ケースに全てのえびさんを移動し(6っ匹しかいなくなっていました)に買って来たウイローモスをひきぶくぶくを設置し1地時間おきに見に行く事をしていましたがさっき、グッピーの新しい子供を発見、えびさんの産卵場は稚魚の場所になりました。 ってまだえびさんはおなかも大きくなってないので産卵は先だろうし、もしかすると温度とか条件を揃える必要もあるので、あしたは大き目の水槽を買うようになるのかな。 観賞魚のつもりでしたが、飼ってみると寿命もあるし、生き物なのでやっぱり繁殖させたいなという思いがおおきくなってくるもんですね。実際にやってみないと自分の中の気持ちのことなのに予想とぜんぜん違う結果になっていきますね。 これからもどんどん変わっていくのでしょうが、ネットで文字や絵の情報だけでいろいろ判断する若者が多くなってきているようですが、事実とか正しいとかの前に自分がどうしたいのかをしっかり持つ必要があるのかもしれない気がしました。 団塊の世代には特有の、共通の雰囲気とか判断基準みたいなものがあります。大丈夫が口癖で小さい事にかまわないのもだいたい共通に思えます。勝てば官軍的な思考でルールを無視しても結果オーライな風潮というのか。またその次の世代も団塊の世代のおかげで、草も生えない状態の平野に放り出されて、どうしたらいいかわからないような感じです。 その後新人類とか、マニュアル世代とかいましたが、根拠が無いのに自信だけある世代を経て、頭でかっち批判世代、ソース要求世代と各時代にそれぞれの価値観で文化を造ってきたのかもしれません。 良いか悪いかを判断するのは難しいところですが、幸せかどうかは分かる気がします。 自分が体験して納得できたか、というところでしょうか。情報化社会といわれてずいぶんたちます。10歳までで60歳が経験した事と同じ情報を押し込められた教育には、感動はほとんど感じる余裕が無かったのだと思うし、そういった尺度さえ持ち合わせていないので、ナンセンスでくだらない事になってしまっているのだろうなと憂いしまいます。 だから生きる理由も見つけられないんだろうなと。

えびさんのその後のその後

えびさんは、「みなみぬまえび」という淡水でも繁殖できるのを飼っていこうと思ったので、繁殖容器のほうに残った分だけ移動してみたけど、なんだかぶくぶくを入れたら流されそうなので今日はウイローモスを買ってみたので、狭いけど繁殖容器に入れてみました、の図です。 この容器じゃ、稚えびは流されちゃいますね。何とかしないと。

授業参観

幼稚園だから父母参観というのかもしれない。 年中になって初めて子供のクラスを見に行ったのでどういう友達が残っているかと思ったら、知った顔が一人しかいなかった。覚えていないだけで何人かいるのだろうけれど。とか思っていたら、唯一見覚えのある子が帰るときに「ばいばーい」といってくれた。 授業参観で思った事はあまり多くは無く、周りの子供に比べるとうちの二人は終始ニコニコうれしそうだたので行ってよかったとは思えた。 で、帰りのバスのことだ。当然ママさんたちと一緒になったが、話す声が半端なくうるさい。イメージとしては貸切の小学校の遠足のバスくらいだった。どんなかな。中学に行くころにはもう少しマナーとか礼儀(同じか)が身についてきて、もう少し静かになると思う。 自分たち以外に乗っているのに我が物顔で、恐竜のようだった。注意しようかとも思ったが、今後の事を考えて止めておいた。根性無しな私であった。ただ付和雷同にはなりたくはない。日本人が馬鹿にされるのも分かる気がしたけれど、きっとあの人たちは自分の事を言われているとは夢にも思わないんだろうなと思う。 まだ、自分が高校生のころだったか、子供の教育や躾の話で、電車で遊んでいる子供を親が注意する時に「危ないでしょ、止めなさい」と言っているのを批判しているのを見た事があった。「危ない事を注意する前に、他人に迷惑を掛けている事を注意できないのか」という内容だったと思う。もうそんなことを通り越して親自身が迷惑な時代になってしまった。「何が悪いのよおばさん」はもっと年を取っていたと思うんだけど。けっこう若いママさんがあれじゃ・・・・

えびさんたちのその後

全滅してしまいましたえびさんですが、今回は増やしたい事もあり種類を替えました。

飛蚊症

最近視界の端っこに、何だかうごめくものがあって、調べてみたらどうも「飛蚊症」(ひぶんしょう)というものらしい。年を取るとなるものらしいが、脳内のレシチン減少によるものなのか活性酸素とかの影響か、治るものか気になっていた。

ファッションという言葉の使われ方

もうずいぶん前なので忘れてしまったけれど、卒論のテーマがファッションに関することであったことだけは記憶に有る。日本語は理解するのが難しいのに、これは外来語であり和製の意味合いも濃い。 ファッション=おしゃれ関係の用語と捉えられがちだが、この語は、基本的には「制服」をさしている。 ある種の集団の制服、白衣でも浜トラでもいいけれど、その向かっている職場や思考集団の制服をファッションと定義しているのが一般的だと思う。ファッド、クレイズからボーグみたいなものは伝播過程の形態用語名なのかも知れない。 差別化をすると言うことは、差別化している集団に属する事になる。自分だけが、全くのオリジナルにはなり得ない。その集団の作法に平準化していくことである。それが著しく突飛であり少数であれば、ヒッピーになるかもしれない。 言葉の意味を良く考えないで使うとずいぶん違った結果になってしまう。 コミュニケーションは意思の疎通だ。意味が通じればいいのだが雰囲気だけしか伝わっていないことが多い。それはもしかすると諦めなのかもしれない。 私が音楽活動(いわゆるバンド)をしていた時代、ライブ等に来てくれた人に、何かもって行ってもらいたいという、おみやげ意識みたいなものがあった。別に自主制作CDを渡すというのではない。今日来て、聞いてくれた事で感動してもらえる物を作りたかった。平たく言うと他と違うだけでよいのだ。 照明の派手さや音の大きさなど、非日常空間であったと感じさせたかった。 それは私にとっての諦めでしかなかったことになかなか気がつかなかった。 本来音楽を、楽器の演奏通して感動を与えるのがプレイヤーなのだ。 今は練習すらせずパンクを名乗るロックバンド崩れが増えてきているが、私はセーターを着てライブをやっても感動させられないと気がすまない。ロックバンドは一歩間違うと、落ちこぼれの傷の舐め合いという惨めな結果になってしまうということを何度も体験したからそう思うのだった。人前で自慰行為を行うなと。 話がそれてしまいましたが、言葉を使用しているにもかかわらず、雰囲気だけしか伝わらないでよしとするのはただの諦めにしか思えないのは、これらの経験から来ているのでした。

地震のその後

普段政治に興味がない人たちもさすがにTVで原発の行方に対して興味を持たないわけには行かない。しかも政治というか「人災」とまで言われた今回の処理の遅さに、落ち着いた後は、誰がどうやって責任を取るのか、非常に興味深いところだ。 大連立とか言葉にだまされてしまうが、民主党が終わっているのは誰が見ても明らかと言われていても、では自民党なら大丈夫なのかと言う問いに自信を持った答えのできる人は一体何人いるのやら。 http://homepage3.nifty.com/Daiou3/ 私がネットで一番見てきたHPかもしれない。これはUMAのHPだけれど、それ以外の内容が非常に興味があったが既にずいぶん見ることができなくなっているように思えた。 震災に関しては、よくわからない専門家のどうでもよい解説を聞くよりわかりやすいし、たぶんほとんど書かれているようになってきていると思える。 本人の素性はよく知らないのだけれど、こういう人がっもっと多くなっていけば日本は良くなるのかもしれない。

こういうのを本当の最低というのかもしれない

まだまだ東北の地震の被災者も原子力発電所もどうなってしまうのか心配な中、こんな記事があった。 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110320-OYT1T00512.htm 相模原署は20日、相模原市中央区の女子高生(16)を窃盗の疑いで緊急逮捕した。 「逮捕した」となっている。 女子高生なら逮捕されただけでも、「お嫁にいけない」と言わないまでも、かなり恥ずかしいことなのに募金を盗もうとは、もう捨ててるというか投げてるのか、典型的な快楽主義者なようだ。最低だ。 日本人は海外のメディアから略奪や暴動が無いと、ずいぶん賞賛されていたのに、やはりそういった立派な日本人は東北のほうにおり(京都や名古屋にもいるかも知れないけど)東京の近くで勘違いした田舎ものである相模原には、こういった自分勝手な人間しかいないのかもしれない気がする。恥を知ってほしいと思う。 昔、まだ珍走団ではなかったころの大昔「出っ歯、竹槍の相撲ナンバーうるさい」と言われていたのが相模ナンバーの事だったのはを大人になるまで知らなかった私ではあるが。 周りの大人もだめだと思うが、基本は本人の問題だから被災地の中学生にでも人としてを学んでほしいと思った。

被災地のインタビューで

死者の数が発表とともに増えていく東北の地震ではあるけれど、お年寄りが助かったような報道があるたび、どうせならもう少し若い人がはやく救助されたほうがいいんじゃないか、と言葉にしてはいけない本音が頭にあったが、今日の報道で変わった。 80歳の救助されたおばあさんが自ら「わたしのような年寄りが助かり若い者がずいぶん死んだ。助かったってよろこべるわけもない」 これを聞いて涙が出た。助かったのに申し訳なく思っている老人がいる。老人を助けようと亡くなった方もずいぶんいたようだ。 もっと涙が出たのは、保育園だか幼稚園で体育館だか講堂のステージ部分に子供を抱えて逃げてきた先生たちが、水が自分の肩まで来たので抱え上げたが老人はステージにも上がれずお年寄りから沈んでいくという話を泣きながら語っていた。助けたくても手が出せなかった地獄絵図であったろうと思う。トラウマにならなければいいが。 心やさしい人だけの痛みなのだろうか。日本人が皆こんな人たちなら、義援金の詐欺なんてないんだろうけど。 東北の被災者を見ていて関東などのそれと違うのは、自分の身内が死んで悲しんでいるというのでは無いというところなのだ。これが見えてこないと他人事でしかない。

東北の地震とか原発の事故とか

米無人機で内部撮影へ きょうにも福島原発で  東日本大震災で、高い放射線が検出されている東京電力福島第1原発の原子炉建屋内部を撮影するため、米軍が17日にも無人偵察機グローバルホークを飛行させることが分かった。日本政府関係者が16日明らかにした。  無人機であるため乗員が被ばくする危険性がない。同機は高性能カメラと赤外線センサーを備えており、破損箇所など建屋内の状況が把握できれば対策づくりに役立つ。   日本政府が対応に手間取り有効な対策を打ち出せずにいるため 、米軍は自衛隊が保有していない無人機の投入が必要と判断したとみられる。原発トラブルでの日米協力の本格化ともいえそうだ。  東日本大震災を受けオバマ米大統領は「いかなる必要な支援も提供する」と表明。米軍は航空機での物資輸送や、空母などによる被災者の捜索に当たってきた。原発トラブルでも米軍の放水車を提供している。  グローバルホークは約1万8千メートルの高高度を飛行し、約560キロ先まで見通す偵察能力を持つ。夜間や悪天候下でも目標の捕捉が可能。撮影画像は、ほぼ同時に地上の司令部で見ることができ、地上からの操作のほか事前のプログラム飛行もできる。今回は米領グアムのアンダーセン基地に配備している機体を使用する。 ソース元: 共同通信 これで東電と日本政府が牛歩戦術のようにゆっくりゆっくりと小出しに出しているがまだ全容が見えてこない真実が明るみになると思われる。 それにしても・・・・・・ >日本政府が対応に手間取り有効な対策を打ち出せずにいるため 情けない・・・・・。日本は原発を保有する資格なんて最初から無かったのだ。地震も津波も天変地異ではあるが予想ができなかった事態では無かった。ましてや地震の多い日本なのだ。それがこのような事態に陥っているのだから、最初から原発を推進すること自体が間違った選択だった。今後、原発推進に関わる長年の利権、政治決定がどのようなものであったかの深い検証の必要性を感じる。 もう米政府主導の方がこの緊急事態を打開できるのではないかと思えてきた。国としては情けないし恥ずかしい選択ではあるが、(もう起きてしまっている可能性があるが)メルトダウンを防ぐためには後手にまわるどころか現場の足を引っ張る日本政府よりも判断と行動がほとんど同時にできる米政府の方が頼もしく思えるのだ。 無人偵察機グロ

地震と原発

原子力発電所の事故(事象)で気になったHP 原発 少し落ち着いたので・・・「保安院という化け物」 原発は2号機の格納器が破壊されたことで一段落した。周辺の放射線は徐々に上がっていくだろうが、福島県民をはじめ、付近の方が逃げることもできる状態になった。 その意味ではやや私も気持ちがおさまった。 そこで、政府やマスコミなどからの情報をより正しく理解するために関連のことを書いておきたいと思う. ・・・・・・・・・ 【なぜ、保安院の人は謝らずに威張っているのか?】 日本の原子力行政は、原子力委員会が推進、原子力安全委員会が抑制ということになっていたが、政府がいつの間にか、原子力安全・保安院というのを作り、「抑制機関無しの原子力行政」を始めた。 そのため、安全を考えて抑制する立場だった「原子力安全委員会」は国民に代わって、直接、原子力の安全を守ることができなくなった。 原子力安全・保安院は全権を持ち、電力会社や原子力安全委員会などに強い影響を持つようになった。これがテレビで見た保安院の人の傲慢な態度にあらわれていた。 保安院は常に原発に口を出し、俺の言うことを聞かなければ認可しないぞと言い、そして現場を知らないという状態で推移していた。 このことが「地震で破壊する原発」を作ってきた原因であり、さらに「震度6など想定していなかった」とか「地震対策はしてきたが、津波が起こるとは知らなかった」などという奇妙な言い訳を作り出す原因にもなっている. ・・・・・・・・・ テレビにでた保安院の人は謝りもせず、傲慢な態度に終始した.これは「事故は俺が起こしたのではない」ということだが、「原発の安全に責任を持つ」という気持ちが無い人が、「原発の安全規制の権力を持っている」ということだからだ。 彼らは規制について強い権限を持っている.だから電力会社は認可をもらうためにペコペコしなければならない。でも事故が起こったら知らない顔をする・・・役人が入るとこのようになる。 今、事故が進行中だが、保安院は登場しても混乱するだけだ。東京電力と政府だけで進めてもらいたい。 また気象庁は全力を挙げて風向と、原子炉からのガスがどのように流れるか、コンピュータを使用して早く全力で計算して欲しい. 気象庁はこのような時にこそコンピュータを国民の安全のために使い、何時、どこに放射線物質が移動するのか、ハッキリして欲しい

南京事件

私が子供のころには特に学校の授業などにも出てこなかったので、不思議な感じではあったけれど、ある時点から大虐殺という見出しをよく見るようになった。その後ネット上で時々見たりしたけれど従軍慰安婦はどこに行ってしまったのか?と同じように実際にはなかったのではないかと思えている。 右や左も思想としてどちらよりかというのは、ある程度あるのかもしれないけれど、特に団体に入って活動することもなく、未だ主張したこともない私なのでプロパガンダがどうした、ということに興味はもてないが、私の父は戦争に行っており満州の地も踏んでいたから知りたいとは思った。 虐殺とか侵略とか犯罪かどうかよりも、人を殺してしまうとか、隣で友達が撃ち殺されるとか悲しすぎて戦争中の話なんて聞く気にならなかった。だが私の友人が泊まりに来たときに私がいない間に戦時中の話をしたらしく、南京に行ったら何かのお薬を買うように言われたお金で、南京豆を買って死ぬほどの伝染病になったらしいと話したらしく、おちゃめな人だと後になって知った。 友人の話では戦車に乗ったことはあるが発砲したことはなかった、というのである。では、南京は見たのかと言うと行っただけらしい。お酒が好き(というよりは依存症)であり正月など、お酒の入った帰り道では、同期の桜とか予科練とかを歌っていたからそんな想い出なのかと勘違いしていた。 その後は戦争の話も聞けるようになったけれど、発砲すらしていないから緊張感はない。ただ関東大震災も東京大空襲も体験はしているから、辛い思いではあるだろう。 南京(時期がタイトルのものと同じかどうかよくわからないが)で父は中国人の兵隊をかわいそうに思っていた。末期のゼロセンは体当たり戦なので、帰りの燃料もない状態で飛んでいくが予科練志願者は多かったようだ。それに比べると中国兵士は国に無理やり戦わさせられている感が強かったらしい。戦場から逃げ出さないように足が鎖でつながっていたこともあった様に言っていた。

質と品質

質が良いのと品質が良いのは、普段の会話では同じように使われてしまいますがこれは、「安い」ことが他と比べて安いのか、単に低価格なのかで違うように意味が違うはずです。 品質管理的には質の標準化、ぶれの少ないものが品質の高いものと表現されます。 前回購入したものと今回であまりに違っていては信用は生まれません。またチェーン展開していればどこで買ったものでも同じ質(味)だったりする必要がありその企業なり、商品のロイヤリティーを上げる事ができそうです。 年をとってくるとだんだんに「そんな理屈っぽく言わなくても伝わればいいのよ」「ようは、いいものなんでしょ」なんて言ってくるおばさんがいますが困り者です。 たとえば、蛍光灯が2000時間の寿命で使用できるとします。たまたま5000時間使えたとして、それは都合はいいのですが品質としては決して良いものではなく2000時間に近いほど(そういった商品が多いほど)品質が高い商品と言えます。 わかればいい、通じればいいというのはおばさんの特許のように思っていましたが、実は若者の中にあるスラングや短縮会話の中にも危険なものがある様に思えています。 言葉は文化なので、使っている人により時代によって代わってきてしまうでしょうし、それでいいのかもしれません。ただ、単にいい加減だったり「音」の響きがいいだけで使っているのはちょっと違う気がします。 鬼のように〇〇は昔の言葉ですが、「激うま」に似た表現するのに「鬼うま」というのがありましたが、本来鬼は忌み嫌うものの象徴なので「鬼熱」などのように否定的な度合いが強い場合に使う言葉なので、意味を根本から履き違えて、ちょっとおばかな表現に聞こえてしまう私はなんなんでしょうか。

忙しいと言う事

何の本で読んだのだったか、忙しいとは立身偏(心)を亡くすと書くので「心をなくす状態」処理量の多い事もあるが、精神的に余裕のない様を表していると聞いた事がありました。またその注釈に、いそがしいを連呼する者は実は大して重要なポストにおらず、単に心が狭いだけという内容の事も書かれていたと思います。 それを始めて読んだときには、たとえば同じ100mを走っても大変だったと思うものがいたり、同じ仕事でも簡単にこなせる者がいたりという、個々の能力に対して寛容であるかどうかの尺度の事なのかと思っていました。 実際には、(おそらく)責任ある判断すべき人物の口から忙しい(だからこれ以上の仕事はできない、もしくは聞けない、情報を入れるな、聞きたくない)のような流れになってしまっては正確に判断できる情報が入ってこなくなってしまい、自分の首を絞めることになってしまうのではないかな、と感じるようになりました。 これは、自分が情報を連絡もしくは報告してもらう立場になるまでなかなか感じられなかったことですが、立場が変わらないと仮想、架空なものでは考えが及ばないと言うのか、答えがぜんぜん違ってきてしまうと思えるものでした。

対向車

偽善者という言葉が大嫌いなんですが、偽善な行為に見えてしまったとしてもその事でよかったと思える人が自分以外にいれば、それはもう偽善ではないように思えています。 車を運転していて時々思うのですが、右折をしようと小さな交差点で止まっていると、道を譲ってくれる対向車線の直進車がいます。本人は入れてくれようとしているのですが、その親切な車には後続車はなく、早く行ってしまって欲しいなと思うことがよくあります。 入れてもらっているのに何か文句のような事を言ってはいけないのでしょうが、こちらが右折するのに、その車が止まっている事で、その向こうを直進するかもしれないバイクや自転車が見えないことが問題なのです。 なんというか譲り合うのは良い事なのですが、自分の後ろの状態をもう少し考えられたらもっといいのでしょうが。

手当てをする

「手当てをする」と言うのが、文字通り患部に手を当てるというように聞いた事がありました。お腹が痛いときなどにお母さんが手を当てたりさすったりすることを思い浮かべ納得していたのですが、言葉の意味としては「手配する」などでも使われるように、「手で〇〇を患部に当てる」のように捕らえるべきだと思えます。

外国人留学生の支援制度はいらない

沖田東一という方が、 平成22年10月24日に書かれているのですが非常に共感できたので広めるためにコピペしてみました。 問題がありそうなら削除します。 誰もこんなとこ見にこないか・・・ 先日、民主党が朝鮮学校の無償化を党内で決定した。外国人である朝鮮人の学校の為に日本の税金が使われるのは非常に憤慨する話であるが、他にも自国民よりも外国人を優遇する制度がある。  たとえば国費外国人留学生と学習奨励費。これは諸外国との国際交流のために設けられた制度で、留学生のおよそ2割(約2万人)が対象となっている。国費外国人留学生には学費免除のほか滞在費(渡航費・生活費・宿泊補助費)が年間約220万円支給、学習奨励費は対象留学生に年間約60万が支給されている。両制度で合わせて約280億円の税金が、外国人への奨学金に使われていることになる。  おかしいのは、自国民である日本人対象の奨学金給付制度がないことだ。日本学生支援機構による奨学金はあるが、これは「貸付け」のため卒業後に返済しなればならない。しかし外国人留学生への奨学金は国の「支給」のため返済する必要はない。これは自国民への不当な差別ではないのか。  当然だが留学生の親は納税者ではない。奨学金に税金を用いるなら、まず納税者である日本人への奨学金制度を確立させるのが優先であろう。  また、留学生の内訳はその約7割が中国、約2割が韓国人である。彼らは卒業後は母国へ帰り、日本で得た知識技術で母国の技術発展に貢献する。つまりこれは競争相手国への自国技術の供与に他ならず、日本は競争相手国への支援のために、毎年300億近い税金を投入していることになる。実にばかげた話である。  ちなみに外国ではどうなのか。たとえばアメリカ・ヨーロッパ・豪州などでは、国費留学生の割合にしても、留学生全体の2%~0.5%と、その数は日本より遥かに小さい。また、留学生には自国民よりも高い学費が課せられている。アメリカの場合、大学にアメリカ人が入学する場合の学費は年額約5500ドルだが、外国人が留学する場合は約15000ドルと3倍近い学費になる。自国の技術を他国の人に教えるわけだから当然の話であろう。  それなのに日本ではお金を払って留学生に自国の知識技術を教え、その負担は日本人が支払っている。このような売国的制度は即刻改めるべきだ。まず日本人へ

語源 1

むかしぶりっ子という言葉が良く使われていましたが、松田聖子というアイドル歌手によって広まったというのか、共に普及したというのか。いわゆるカマトトのことですが、派生語?にハマチやハマチっ子などもあった様に思います。松田聖子の本名が、かまちのりこだから訛って、かまちっこになったのかとしばらく思っていました。 これって通勤バスの「ワンマンバス」をみて女子中学生が「マンタンバス」の間違いじゃ?と言っていたのと同じなのかも知れないと、恥ずかしい思いでした。 以前から、語源で気になっていたものに「ダサい」というのがあります。 ダサいはずっと「だって埼玉だもの」から来ていると思っていたので、自分が使い始めた当時(1978年)は埼玉県民が必死に「ちばらぎ」や「だっちば」と無理のあるごろの悪い言葉で応戦してくるも他府県民の支持を得られず定着したのは「ダサい」だけだったように記憶しています。 今の埼玉の人たちは違うのかもしれませんが、当時は年齢に関係なく埼玉県民はパステルカラーを着る人が多いイメージでした。いい年のお父さんがそんなに明るい色はちょっとな感じでしたが、千葉はグレーやエンジの地味な色使いが多いように思えたので、どちらがましなのか。 「ダサい」自体はやぼったいとか格好悪いの意味なのでしょうが、私は逆に田舎っぽいというのではなく、弱々しいとか情けないという意味で使ってました。語源の説にある「田舎」でだしゃと読んでるのは聞いた事もないですし厳密な語源は違うところにあるかもしれませんが、どちらかというと車のギヤが抜けて惰性で走るところから「ダセー」という方がなんだか憎めない間抜けな埼玉県民の気質に近い気がします。 いや、「ダサい」は「だって埼玉」ではないのかもしれないので話の進め方が変な事になっていました。