ね っていう語

話している言葉の最後に 「ね」を付けた言葉を時々聞きます。

〇〇ちゃんがね、わたしのことね、色黒だって言うの。嫌な子よね。
私が気になるのは最後の「ね」。
大人になっても「〇〇だよねー」って使ってる人結構いる気がする。これってなにかずいぶん前に聞いたんだけど、強制を促す幼児言葉だったと思う。大人の男は「ねー」は使わない。子供大人か女男(?)くらい。

小さい子が使うとなんとも感じないけど、おばさんが使っている場合、主語もなく何が「ねー」と同意して欲しいのか分からない。しかも「ねー」の応酬さえある。それに「本当よねー」とか多少の副詞や形容詞を付けただけで、ねーねーでしばらく続く事さえある。会話になっているとは到底思えないのだが。

でも、女性の会話には中身の無い事が多く、いや、相手に考えを求めておらず、既に心が決まっており、大半は同意して欲しいのだという。全ての女がそうでないのはわかりきっているが、概してそうなのだそうだ。封建的な社会が長かったからなのかもしれない。それは保守的な生き物として当たり前の言動なのかもしれませんが。

保守的というと、何かリベラル派と復古派くらい革新性の内容が有るときに出てくる言葉に思えますが、先の封建的な時代があったからゆえに、女性は社会進出が遅れ自分で判断する事を恐れ避けてきました。そうしたことから味覚的にも冒険をせず、生まれて一番初めに認識できる甘味が好きなようです。

女子供と一括りにする考えもアレですが、実際お酒やタバコを男のように飲んだり吸ったりしている人は男みたいでもありますが。って偏見ですね。

おかまやゲイが市民権を得たとは聞いていませんが、日本ではTV局が女装趣味を否定していませんので、そういう文化の国だということですね。

こんなんでいいのかニッポン!

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