投稿

2012の投稿を表示しています

smoothの発音

smoothというのをスムースと表記しているのをよく見かける。スムーズだと思っていた。 スムースという言葉だけで考えると、「ズ」よりも「ス」を使った方がより意味するところのなめらかな感じがでているけれど、同じような発音と思われる 「with」は「ウィス」なのかというとやっぱり「ウィズ」だと思う。 日本語がいい加減になってしまうので変な使い方は危険な気もするが、これって外来語の範疇なんでしょうか? 発音って言えば、「bag」 バッグをバック、 「bed」ベッドをベットっていう人もおばさんの中に多いが、これに似ている使い方だとしたら、もう言葉が不正確すぎるのですが、えらい人に教えてほしいものです。というか使い方を統一して。 そういえばさっき選挙に行ってきました。どこを支持しているかは言わずもがな。 「政治には疎いので」、こう言い切ってしまうとただの逃げでしかないですが、正直どこに投票しようが変わらないような気もしていましたが、恐ろしい団体はきちんと組織立って動くので維新やみんなの党じゃなくても投票はしておいた方がいいです。そうしないといらぬ政党が妙に議席を稼ぐことになってしまいますから。 私の小選挙区では某政党からは立候補者が出ていませんでしたが、会場の周りにポスターがあったり、この周りには○○が多いんだなと感じましたので、このまま、無関心でいるとあらぬ方向に進んでいってしまう不安もちょっとあったりしました。

選挙

人生の中でこんなにも選挙に興味を持ったことがない。 ところがどこに投票したらいいのかがわからない。 民主党に投票することはないとしても、自民党ではだめだと思って前回は民主党を選んだのではなかったか?とおもいだしてみる。 あまりにだめだったから元に戻っていいのか?ということになるとやはり維新になるのかな。 石原さんはどういう考えでいらっしゃるのかわからないけど、尖閣諸島についても東日本大震災の時も行動としては尊敬できるものであったので、彼の意志が反映されるような政治になれば良い方向に向かっていくようにも思える。 ただ、猪瀬っていう人はこんなことを言っていた 交通信号が赤でも、まったくクルマの気配がなければ歩行者は横切ってもいいんだよ。僕がジョギング中に不可解に思うのは、ただつっ立っている日本人。クルマいないのに! 個人の決断がない。ニューヨークでもパリでもあり得ない。 いや、わたっていい信号は点滅とかになっているんじゃ・・・ 自分の判断ではだめなことも多いと思うけれど、自分の判断=自分の都合っていうわけではないんだろうけれど、似て非なり。誤解も生むし、根本は「間違い」と言わざる負えない。 この人では任せられるものがない気がする。

好きな歌詞

もう終わってしまったのだけれど、深夜のアニメの中でエゴイストだったかが歌っている曲名を知らないけれど歌詞の好きな部位分がある。 ギルティクラウンというアニメだった気がするけどあまりよく覚えていない。 なぜか歌詞だけ覚えていて、2番になるのか 気付いて その眼は互いを認めるため その声は想いを伝えるため その手は大事な人とつなぐためにある。 こんな内容だった気がするが、ちょっと違ったかもしれない。 子供と手をつないでいるときに思い出す。 きっとこの歌詞を書いた人は優しい人なんだと思った。 曲自体は歪んだ音なのでいまいちなのだが、ここだけ好きなのでした。

ブログのこと

自分は誰かに見てもらうために書いてるわけじゃないので、コメントも投稿できないようにしてますが、忘れないようにメモしている感じで使ってるというのが正解です。なので何かを検索して間違って開いちゃう人がいるのが気の毒です。見てもつまらない。 で、一番閲覧が多かったのは プラナリアだった。 きっとプラナリアの駆除で困っている人が多いんだな とは思いはするが、気の利いた情報はもっていなかったりする。でも自分のミナミヌマエビ水槽に沸いてしまった南米プラナリアは 「プラナリアゼロ」っていうのを何回もやって駆除しました。 いや、駆除した気になっていただけで、しばらくするとまた、うにょうにょしてましたが、多分ソイルの中に潜んでいたんだと思います。 今はソイルをとってしまい(なんだか水がくさくなったので)水槽の底が見えるようにしたら、こんどは全くプラナリアは見られなくなりました。 どこでも、嫌われ者世に憚るって感じなんでしょうか。肝心なオトシンクルスは減る一方です。

気が付くと11月も後半に

風をひいて家でのんびりしていたらなんか忘れていることに気付いた。 ブログヲカイテナイ 元気な時には、帰ったら今日はこのことを書こうとか思っていた毎日だったのに、しばらく書いてなかったら、すっかり忘れてしまっていました。 その間にあったのは 車を買った^^ 車を買ったなんていうと人によって「なんだ金持ちじゃないか」という声と「今更車くらいで」っていう2通りの反応が面白い。 試乗車を買ったのですが、特に欲しい車種とかもないので2回見た今まで乗っていたのの新型というか、マイナーチェンジ車といった感じのものを買ってしまいました。 きっと若いころは何でももっと調べたりしたと思うし、こだわりもあったと思うのにわりとどうでもいいかなという感じであった。値段が値段だし高給取りではない、いわゆるお金持ちではないから、買ったのは簡単ではないんですが。 最近の若者は 車を買わなくなったと聞いたことがあった。買わないというよりこだわりがなくなったように思っていたけど、実際自分が購入するときにもこだわりが無い。 これって自分が年を取ったとか、今の若いもんがっていうのじゃなくて「欲しくなるようなものが無い」っていう事なんじゃないだろうか。 車に限らない CDも売れなくなったように書いているブログもあるけど、よく見ていると日本人はCDに使うお金は世界一らしい。1枚が高いからそういうことになってしまうようですが、今時って、どういう曲が売れるのかよくわからない。 CDが良く売れていたころはTV主題歌をカラオケで歌うためなのか、男が男のアイドルの曲を聴いているのをよく見かけたけど、今も多少はそういうこともあるんだろうけど、音楽自体の程度が低いというのか、技術的にもパッションとしても中途半端で主張がないし美しくもない感じがする。 音楽自体は各自、自分が楽しめればいいんだけれど、ライブなどで人様に見てもらおうとしているわりには「うちらパンクだから」とか初めから逃げているようなセリフを言っちゃう輩もいる。 パンクは嫌いじゃないけど、パンクだから楽譜が読めなくていいとかじゃなくて、それぞれジャンル分けされたときの情熱的な主張みたいなものがないんじゃないかって気がする。だから、その熱い必要ががあるところは妙にこじんまりおりこうさんというか、かっこつけよ

骨が折れたというのは

しかしなかなか治らない。 ただこの骨折でいろいろな人に会えたし人の反応を見ることができた。 概して、若い人は親切であった。また、初老の人や明らかな老人は非常に薄情な場合が多かった。正確に言うと老人は人目を気にする。 意外と若い人たち(といっても30代40代なのだけれど)は自分の価値観で席を譲ろうとする。もっと子供だと「偽善者」というわがまま小僧がすべてをぶち壊してしまう時に使う言葉が頭をよぎるのだろうか、きっと勇気のいることなのだろう、一人でいるときは本当に快く譲ってくれることが多い。 私の足には装具と呼ばれる金属の保護具がついている。ときどきタクシーに乗ると手帳も見せないのに身体障害者割引をしてくれる運転手さんもいる。私のはけがなので障害ではない。 バスに乗ると足(膝)を曲げられないので、通路に投げ出され結構邪魔になっている。なので通勤時間は避け暇そうな開いている時間にしか乗らない。そういった時間は老人ばかりで「どこへ行くの?養老院ゆき?」と不安にさえなる。20人ものっていたらちょっと異常な感じがするが、今の日本の人口の比率からはこれくらいの老人数はある意味ふつうなのだと気付くまでにそう時間はかからなかったけれど。 すごくすいているいる時間にしか乗らないのだけれど、今日足にひっかっかった人がいた。気まずいのですぐには顔を合わせないようにしたがしばらくしてその、足にひっかっかた女の人に方をみると、足と私の顔を交互に睨み付けていた。あたた、こんな人もいるんだ。ちょっとがっかりした。 自分の住んでいる町にこんな人がいるとは。比較的若いその女の人はかわいそうにさえ思えた。

骨折の後

膝の粉砕骨折という事故で会社に行けないので家にいるならもっと書けそうなものだが、外にでないというのはそれだけであらゆることに興味ややる気がなくなるものだと体感した。こうやって出不精だとニート化していくのかもしれない。 もう「働いたら負けだと思っている」というニートのショッキングな発言は、記憶からなくなりつつあるが、こういう時に「勝ち負け」の表現を使うのはよほど悔しい気持ちが強い人なんだと思う。私は自分の悔しさを感じるレベルは人並みじゃないかと勝手に思っていますが、サラリーマンである以上多少出世したところで使われる身でしかないですから、勝ち負けで言ったら自営業以外はみんな負けになってしまう。 就活っていうのは昔からあるから納得しているわけではないが、婚活というのより納得できる表現に思えている。結婚は出会いじゃないだろうか。見合い結婚でさえ紹介してくれる人との出会いでもあると思えている。 言葉自体ではなく、省略していることで、通じるのが使用している人と環境や世代が近い人にしか、ピンとこない表現に思える。というより、「入りたい会社があるから、面接を受けに行く」のであり、学校を卒業してしまうから次に行くところを探しているように、「何をして生きていくか決まっていないから、仕方なくとりあえず就職できるところを探す行動」を就活と呼んでもいいとは思うけれど、仕方なくとりあえずなら結婚はしなくていいと思うんだけど。 それが離婚の原因なのだとは思っていませんが。

骨折してしまった

なんということか、大した高さではなかったのだけれど飛び降りたら骨が折れてしまいました。膝が粉砕骨折(高原骨折?)らしく、もう曲がらないかもしれないくらいお医者様には脅かされました。 一応昨日退院したわけですが、まだ歩けるようになるのは2ヶ月位先のよう。車椅子と松葉杖の生活です。 TVってもう全然見なくなっていたのですが、病院はおじいさんとかおばあさんが多いので、ネットよりTVの需要が高いのでしょう、普通に各部屋で見られるようになっていました。個室じゃなくても、まず必要か聞かれます。入院中は検査などで部屋を離れることも多いですからやたらとPCなどは持ち込めず、どうしてもTVになってしまうようです。 久々に見ると以前にもまして、つまらないおバカタレント?(タレントって能力って言う意味じゃなくて笑われ人のこと?)どうでもいいことをずっとやっていて辟易感が・・・ そんな感じなので暇になっても国会中継なんかを見ていました。もう韓流なんてなくなったようであり、また一部では続いているようでもありましたが北朝鮮があるのになぜ南朝鮮はないのかという疑問が生まれつつも、入院生活の時間を潰すためにはニュースや天気予報位は見るのでした。 病院というところ自体、普通に生活しているとあまり縁のないところなわけですが、入院すると周りは本当に老人ばかり。 わかっていたつもりですが、実際にお年寄りだけの中で生活するといわゆる肌で感じることができます。ベットがいっぱいです。 内科や消化器科できても手術後寝ている時間が長いと、歩けない人も出てきます。歩けないからといって入院し続けると、あっという間に病院はいっぱいになってしまうそうで、ある期間を過ぎると赤字になるので、横浜の赤十字病院だったかですが、退院させるような感じの内容でした。 生活保護の不正受給も問題になっていましたが、今後一層先の見えない世の中になってしまいそうですが、実は不埒な輩が改心すればなんとかなるんじゃないかなんて楽観視していたりもします。

オトシンクルスという生き物

飼うようになってからずいぶん経つ気がしますが余り経っていないのかもしれません。 うちのオトシンクルスは電気をつけると隠れる場所を探して、すごい勢いで水槽内を泳ぎ回りなかなか落ち着きません。もう慣れてもいい頃なのになんででしょうか。おなかの大きいのがいるのでたぶんメスなんどろうと勝手に思っていますが、特に抱卵しているとかではなさそうです。 水槽のようなところで飼っていると、たいていの魚たちは寿命が来ていつかいなくなってしまいます。観賞魚の積りで買ってくるのですが、いなくなると寂しいのでどうしても繁殖させることを考えてしまいます。エビの時もそうですが、ウイローモスが水槽内にいっぱいでとても観賞用にはなっていませんが、とても良く繁殖していると思います。 そんなわけでネットなどで、アクアリストがきれいに水槽を維持しているのが羨ましいのですが、自分はやっぱり見栄えよりお友達な感覚なので、これで良いのかもしれないと思っています。 それにしても始めるといろいろなグッズを買ってしまうのはどんな趣味でも同じなのかもしれません。そういえば実家に行ったら、兄がなんと水槽をたくさん持っていたことか。似てるもんだなと思いました・・・・・。高級魚がいないところとかも。

竹島という島

竹島って問題になるまで、ぜんぜん知らなかったけれど尖閣なんかも漁船が追突されるまでどういうことが起こっているか報道していなかったように思えるし、日本のテレビを中心にしたマスコミって本当に終わっているのかもしれない。 何年も前から、おバカタレントばかりがでており、彼らが何をしようが興味もないし、現実離れしたドラマも単に爽快ならいいですがもっともらしく作りすぎで感情的すぎ。なのでしばらくテレビってみていなかったですが、相変わらずスポンサーに不利益なこともできるわけがなく、おとなしい、実は害の少ない企業や集団ばかり叩いたり、しつこいインタビューをしているようなことだけはネットの書き込みを見ているとわかります。 これって中国や韓国のことを、時々民度が低いなどと批判するのを見かけますがそんなことよりまずいことなんじゃないかと思っています。個人レベルではどうなのかわからないですが、政治やマスコミが腐っていたとしたら、もうどう言ってもその国はそんなもんでしかないと言わざる負えないです。 KーPOPはとても流行りそうもないし、流行っているとはいえそうもないと思っていましたが、ステルスマーケティングとわかっていても、日本の付和雷同というか迎合、事なかれ主義、隣と一緒が安心民族は、接触頻度で流されやすい。流行っているとか、遅れをとらないようにしようとか、みんなが良いっていうからで、本当に主体性とか信念がなく踊らされてしまう。別に個の自由ではあるわけですが、国民としてもう少し愛国心みたいなものを持ったほうがいいように思います。 愛国心なんて言うと真っ黒な街宣車を思い浮かべてしまうので、あの存在も日本人の愛国心をそぐ原因のように思えてなりません。批判してもしょうがないのですが、結果彼らはそれを望んでいるのか疑問です。自分が正しいと思っていることを貫くのは信念なのでしょうが、全体への配慮のない行動は結果を伴わないように思えてなりません。

小中学校の留年制度

橋下氏またなんと思い切った提案をするのか。 尾木さんだか評論家っぽい感じの人の発案なのでしょうが、できない子はひきこもりになっちゃうんじゃないでしょうか心配です。それでも、できるようになってから社会に出ないとだめなんでしょうけど。 日本人は周りに合わせるというのか、習うというのか初めて留年しちゃった子供は大変なことでしょうが、この件のインタビューで子供が留年について聞かれたら「やりたい」そうな。わからないことがあったので、1年生をもういっかいできたらやりたいと。 なんとすばらしい子でしょうか。でもこの子の親ががっかりすることを言います。「えーでもみんなは進級しちゃうんだよ、一人で留年していいの?」みたいな。これって日本人の最低な文化な気がしてなりません。 もっといろいろな人がいてよいと思うし、そうすることでいろいろな人を認める人格も形成されるような。 残念ですが、もう日本は終わってるかもしれないので、憂いてもしょうがないのでしょうか・・・・。

オトシンクルス

えび水槽はもうミナミさんでいっぱい。35cmくらいの水槽だけど100匹どころではないと思われる。 増えないときは何でだろうと思って調べたけど、ネット上では「放置で爆殖」なんて簡単に書かれてたりしますが、なかなか増えませんでした。 でやったことというと。 ①10匹とかじゃなくて30匹は水槽にいるようにした。 ②温度はかなりの幅で生きていけるようだけど、26度くらいに安定させたほうが増える。 ③コケが生えてしまうけど餌は十分に。 ④臭くなってしまうけど、ほとんど水は替えない。足すだけ。 ④は「水ができた」状態になってからかもしれないけど、できたって言う状態もよくわからないので。 同じ大きさの水槽でグッピーとネオンテトラを飼っているほうは結構水替えはしています。それでも水流が強いとこだと「ヒゲゴケ」っていうのか硬いのが生えてしまいます。水流が弱いと同じ環境でもなぜか減っていきます。 で、他にもコケが茶色いのと緑色のが出てきたので、本来隣の水槽のミナミさんはコケ対策だったんですが、なかなかかわいいのでグッピー水槽には投じられず、オトシンクルスの出番となりました。 何度か見たことはあったんですが、いずれも’どじょう’のように大きくとてもかわいいと感じられなかったので手が出ませんでしたが、今日はちっちゃいのですぐに購入。水草の葉っぱの苔を食べている様子はとてもかわいいもので、幸せな気分にになりましたとさ。

絵本を買ってみたり

本屋にいったのでなんとなく子供の本を見ていたが、特に面白そうなものがなかった。子供が持ってくる本と言ったら、戦隊物ばかりなので、何か教育上よろしいものはと物色していたら、何やら聞いたことのあるタイトルがあった。 かわいそうな ぞう 本当にあった話だそうで、子供のころに聞いた気がしたのは、内容は思い出せなかったけれど、この象がいる動物園は疑いもせず上野動物園であると思えたから。 でも、なんで殺してしまうかの理由は忘れていました。 戦争中だったので、檻などが壊れて街中に逃げたりすると危険だったからでした。 猛獣は毒殺したが、大きく賢い象はなかなか殺すことができず、一番かわいそうな、餌をやらない「餓死」させる方法で殺したことが一層悲しく印象的でした。 なごり雪が売れた「イルカ」というシンガーは「いつか冷たい雨が」と言う曲で動物との接し方について歌っています。あまり売れなかったように思いますが、メッセージ性の高い曲なので好きで、この本を手に取ったときに思い出されました。 昔、フォークじゃなくてニューミュージックなんて呼ばれてたころのシンガーソングライターですが売れた曲はだいたい「風」にいた伊勢正三(?)の作品だった気がします。 イルカという名前は、バンドブームの時代、学校の出口などで、アコースティックギターのケースがいくつも並んで流れて出ていくのが、イルカの群れに見えたことを言ってしまったことから付いたあだ名のようです。 イルカに限らずこの時代のレコード(アナログでもデジタルでも)のクレジットされているミュージッシャン(ちいさいツいるのかな)でいつもでてくるのがドラマーの林立夫氏。なんでこんなにたくさんの演奏をしているのだろうかと言うくらい多くクレジットされていました。 それで、調べてみたら「ティンパンアレー」というグループであったことがわかりました。ここにはYMOの細野晴臣なんかもいたりして、なかなか繋がりがおもしろくて松任谷正隆や後藤次利なんかも出てきます。 この辺のことはまたの機会に。

日本人という人種

民族性ジョークでこんなのがありました。 沈没間際のタイタニック号。 救命ボートが足りないので、 船員は男性客に船に残るよう説得する。 英国人に「君こそジェントルマン!!!」 米国人に「君こそヒーローだ!!!」 日本人に「皆さんそうしてらっしゃいます。」 なぜか、ジョークというより本質な感じがします。 これと似た現象を、最近身近なところで見つけました。 車のドアバイザーです。 装着にも未装着にもいろいろ理由はあるのだと思います。タバコを吸うのに少し窓を開けたい都合とか。 日本には無い高速走行のアウトバーンでは余計なものが付いていると危険だから外車には付いていないとかとか。 実際、外車にはほとんどついていないから、不要なのかもしれませんが、デザイン的にどうかというのは個々の趣味の問題になってしまいますが、なぜ付けるのかというと「みんな付いてるから」なようにも思えます。 付いてるのを「かっこ悪い」という声もありますが、少なくとも国内では、付いていないのが安い車の 、軽自動車や営業者だけだったりするので(ちょっと高めのハイブリッド車の営業者も出てきていますが、やっぱり付いてない)ところから、営業車に見られたくないというのも有るきがします。 外車の営業者も当然あるんでしょうが、それはまた意味が違ってくるので、単に人と合わせるっていうのではないですが、センスっていうのか、見慣れてしまうとなかなか離れられないというのか、突飛なことはしない。個性のようなものを主張しようとしている若者でさえ、「それでオリジナル?」と聞きたくなるほど他と同じだったりする。どうでもよいようなところがちょっと違うだけで、没個性。 男と女で大別するのは危険が多いですが、こういった傾向は女性化していると言えそうに思いますが、その辺は次の機会に。

気が付いたら年を越していたり

マイリマシタ。 昨年末はいろいろ考える事が多かったですが、ぜんぜん書き込めませんでした。忙しいとは本当に心をなくすもので、ぜんぜんゆとりがなくなってしまいました。 本当にというと、会話の中で「本当ですか」といのを?を付けずに「そうですか」のように使う人がいますが、これって「うそだろー」を丁寧に言っているだけで目上の人に使ってはまずいですね。どちらかというと「それはこまりましたね」とかにしておかないと「本当の事と思えない」から聞いている、驚きの表現のつもりなのでしょうが、聞いてて落ち着きません。 昨年は相変わらずゴールド免許にならないので、恒例で運転免許センターで更新してきましたが、受付で「更新できないと困るんだけど」と書類不備なのにごねてるお兄さんの事を思い出しますがそれ以外にも自転車に過失がとられる交通事故も出てきて、飲酒運転の罰金も高くなっていたり、驚くことが多かった免許更新です。 そういえば大阪の方だったかで、60くらいのおじさんが自転車で信号無視、交通事故で亡くなった方もでたなどというのもありましたが、自己責任はその自転車の運転者にあるとして、自賠責とか保険の類に入っていないであろうこの加害者に、保障能力はあるのでしょうか?もしなかったら亡くなった方の遺族は悲しすぎる気がします。